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人が人に向けた欲望はマシンガンのように発射されるけど、お互いに相手に当たることはほとんどない。照準がぶっ壊れまくっているから、至近距離でもハズレまくりだ。弾道は相手の頭上を跳び越し、遥か彼方に着地するばかり。その戦場に飛び交う弾丸の間を、涼しい風やシジミチョウや時間が横切っていく。すると空中を高速で移動していた弾丸は一瞬で勢いを失いその場で地に落ちる。向き合った人の間にあるのは涼しい風やシジミチョウや時間だけだ。

だけど

人は相手が放ったその弾丸を自らの意思で飲み込んだりもする。とても強力な掃除機のように。そんなに高速で移動する弾丸をどうやって飲み込むことが出来るのかは、いまだに明らかにされていない。よほど強力な掃除機なのだ。飲み込まれた弾丸は戦場から隔離された深い深い沼に放たれる。そしてその弾丸は大きな魚に成長するのだ。魚となった弾丸は今や魚であるのだから、弾丸よりも遅いが自由に動くことが出来る。その動きは誰にも予測できない。それを飼っている本人にさえ。

しかしいずれ魚は大きくなりすぎる

大きくなりすぎた魚は既に魚ではなく川だ。怒れる川だ。怒れる川は流れ出るのだ。とんでもないエネルギーで、エネルギーそのものとなって。いまや人はただの水門だ。壊れた水門だ。思いっきり吐き出すのだ。川となった魚を。魚になった弾丸を。そうすればまた涼しい風が吹いてくる。そこでマシンガンに戻ることがあろうともそれはそれでいいではないか。

あらゆる日常的関係性から自由になるためのテクノロジーは既に存在している。ただしそのようなテクノロジーはそれを利用する個人に対して一定のリスク(おそらく現状の社会的常識に照らし合わせれば受け入れがたいような)を要求する。だからと言って、さらに、そのリスクをも回避できるテクノロジーがあれば最高じゃん、と思ってはいけない。そんなものは幻想だ。身体的な資本主義においては、それが回避できることはあり得ないのだ。なぜならそのリスクと自由は切り離すことが出来ない、同じものの一側面に過ぎないからだ。

支持政党や宗教や理念の違いが人を隔てるのを個人レベルに降ろすことが出来ればいいのにといつも思うのに、それが出来た試しは無い。なぜならその違いは、人が個人であることから離れた場所であらかじめ選択されているからであり、そこにしか存在しない隔たりであるにもかかわらず、それぞれの日常は、そのような個人から隔たった場所で営まれているからなのだ。それはつまり選択の基準が、存在しない過去と未来に依存しているということだ。いつから日常は今を無視するようになったんだろう。日常とは今に振り回されることではなかったのか。

実用性と利益のためにどれほどの機械が堕落したことだろう。
堕落した機械に囲まれることをどれだけの人が望んでいることだろう。
欲望を地に着かせることが何とわかりにくくなっていることだろう。

おそらく、機械がもたらす喜びとは
身体の軽くなり始めた子供が
初めてジャンプする喜び以上のものではないのだ。

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随分長いこと掛かっていますが、製作中のサドルがやっと使い物になりそうなところまで漕ぎ付けたようです。といっても俺はなんもしていなくて、頑張っていたのはGull Craft代表だけなんですけどね。

試作品からの主な変更点は、真空成型製法の改善、レールとシェルの一体整形化、裏面の支持方法の変更などです。

写真に写っているのは、白いのがケブラーとカーボンのハイブリッドバージョン。赤いのはカーボンレールを採用したキャンディ塗装バージョン。ヌードカーボンのヤツはチタンレールバージョンです。でもケブラーのヤツは扱いが難しいので販売は無しです。素材の特性としてはサドルに物凄く向いた素材なだけに惜しいところですが仕方ありません。実際に販売できるのはカーボンレールとチタンレールのバリエーションに、オプションでカラーリングと言う感じでしょうか。重さはカーボンレールバージョンが75g前後(+-10g程度)、チタンレールバージョンが115g前後というところ。仕上げによっては60gぐらいのものもいけそうなので、軽量モデルを加えるかもしれません。

そして気になるお値段ですが、えっと、物凄く高いです。まだはっきりとはしていませんが、今のところ5万から7万ぐらいの感じで考えています。しかし完全ハンドメイドなんで、作る側からするとこんなもんなんですよ。それにこのサドルの、他の軽量サドルでは得られないソフトな乗り心地にはその価値があると思っています。普段使いでもツーリングでもオールラウンドに対応できるサドルに仕上がっているつもりです。試乗してもらった人達からも、非常に良好な反応が得られているので、それなりの汎用性も確保されていると思っています。最終的な価格は専用サイトでの販売を考えているので、それが出来るまで待ってください。支払いはPayPalで海外通販も対応予定です。

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リアリティを求めている、と思っていた。
だがリアリティとは疎外感の別名であると思った。

自分に起きた出来事がリアルであると感じる時
そこには必ずカタルシスがある。
カタルシスは治癒を伴うからカタルシスなのだ。

そこで何から治癒されるのかを考えると
それは過去に属する特定の事象からの解放として治癒が経験されている。

リアリティとは、あるサイクルの因果関係の一側面に過ぎない。
だからと言って
その一側面を貶めたいわけではない。

ただそれが一側面であることを知る事はとても重要なことのように感じる。

サイクルが澱む時には腐敗が始まる
腐敗を起こさないようにリアリティが働くようにすればいいだけの話だ。

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