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20020623: リアルの距離

なにかを遠いものだと感じるとき、近くにあるものも遠いものに見えてくる。そしてなにもかもが遠くに見えているときにだけ見えてくるものがある。

たぶん存在と存在の間には決定的な距離というのがあって、それはかなり普遍的なもののような気がする。そして人はふだんの生活の中では、この距離をごまかしながら生きているのだろう。たぶんその方が楽だから。でも何十年もそうやって生きてきた人には、この距離を感じることは怖いことになりすぎてしまって、蓋をしておけるものなら死ぬまで蓋をしておきたいと思うようになるのだ。

僕がなにかを美しい(より深く感じて、自分がただの受け皿になるような気持ち)と感じるときというのは、この距離が正しく存在しているときだけだ。そうでないときの僕は不感症になってしまっている。不感症な僕はなにも作らなくても生きていけるし、なにも考えることはないし、ただ与えられたことを繰り返していけば、いずれ死ぬときがやってきて、それで終わりになるのだろうと思う。でもそれは僕にとってはかなり怖いことだ。自分が何もしないで不感症のまま生きていってということは、自分はひょっとしたら生きていなかったんじゃないだろうかという気がしてきてしまう。

正しく距離を感じて生きたからといって、社会的には何一つ得することなどない。というより、あるのは損することだけだ。もっと言えば自分にとってだって何が得なのかもわからない。唯一いえることは「自分はあるべきように生きている」というそれだけのことだ。そしてそんなことはきっと猫だってカブトムシだってやってることだ。それをやっていないのは人間だけなのだ。

とりあえず僕は不感症にならないで生きていたいと思う。たとえ一つの共感も得られなくても、そこにはそうやって生きなかったら感じられないたくさんのリアルがある。

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