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20020626: ハイパーなSM

サドマゾヒズム。
これって普通は性的趣味に限られて使われるのが一般的だけど、僕は人間関係とか社会的運動の根本にすごく深くかかわっていると思っています。ひょっとしたら人間関係という運動のダイナミズムはこれがなかったら何も生まれないのではないかと思うほどです。

SMの基本は支配と被支配ですが、現実的にはこの関係はとても錯綜したものになります。例えばマゾヒストが苦痛を感じながらもそれを喜びに感じることで関係が成立していた場合、関係の主導権は明らかにマゾヒストのものとなります。なぜならサディストがマゾヒストに対して喜びに変化しない苦痛を与えた場合には関係は終わってしまうわけですから、結果的にサディストはマゾヒストの喜びに奉仕していることになるからです。
これを経済に置き換えてみると、たとえばプロダクトの制作者と消費者の関係では、一見、市場の主導権は制作者側の方にあるように見えますが、実は本当の主導権を握っているのは消費者側であるというのととても似ています。この場合ならマゾヒストの喜びであるところの苦痛や拘束を、労働や社会的規範に置き換えることが可能でしょう。

と、これはマゾヒストが主導権を握るサドマゾヒズム。
サディストが主導権を握る場合はもっと単純です。これは生け贄がいればそれで終わりです。政治でいえばファシズムです。この場合マゾヒストは完全な依存に快楽を見いだすわけです。優れたアイドルとファンの関係などもこれです(モーニング娘とかはマゾヒスト主導ですね)。

でも僕はどちらにもあまりエロティシズムや魅力を感じません。だって全然ロマンチックじゃないし。結局マスターベーションなんだという気がします。
別にマスターベーションが悪いとかいうつもりはないし、治療的効果としては絶大だろうから、大いにやればいいと思うんだけど、僕はそれじゃつまらないというだけです。

僕がワクワクするのは、たとえばマゾヒストの喜びは「サディストが喜ぶこと」を感じることであり、サディストの喜びは「マゾヒストが喜ぶこと」を感じることであった場合に支配と被支配が入れ替わりつつエスカレートしていくような関係です。
これは普通に考えるとかなり不幸な関係かも知れません。なぜなら関係を深めれば深めるほどお互いが孤独になっていくからです。でも僕は、この孤独はそんなに悪いものじゃないと思っています。たぶんこういう関係は人を遠くへ運んでくれると思えるからです。
そして僕の中では遠くへいくということはすごく大事なことなんです。

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