マジックハンド、最近はあまり見ない気もするけど知ってますよね?こんなの。
小学生の頃は憧れのオモチャでした。なぜかウチはこの手のオモチャは買って貰えなかったんですよ。駄菓子屋的いかがわしさが漂ってるでしょ。「王様のアイデア」とか行かないと手にはいらなさそうな雰囲気がプンプンしてるし。
それでもとにかくマジックハンドが欲しくて、物干し竿を引っかけるためのハンガーというか、似たようなヤツがあるじゃないですか、あれを何度かっぱらおうかと思ったか知れません。結局イイ子だったのでそんなことはしませんでしたけど。
他にもアンテナボールペン(正式名称はなんだろう?とにかく車のアンテナの先っぽがボールペンになってるようなヤツ。なぜか蓋は蛍光プラスチック)とかリモコンの戦車とか、遠隔操作するものには何でも憧れてたような記憶があります。
極端な話、ベッドから一歩も動かないで全てが出来たらどんなに素晴らしいかと真剣に考えていました。食事も勉強も遊びも全部。唯一実行に移したのは、子供部屋の外にあった電気のスイッチをベッドから消せるように凧糸で仕掛けしたぐらいかな。三回ぐらい使ったら壊れましたけどね。凧糸で思い出したけど、糸電話もかなりハマりました。
遠隔操作の魅力というのは、その意外性に尽きるような気がしています。体の不自由な人なんかにとってはほんとに有り難いものでしょうけども、元気な子供にとっては、たった60センチ先にあるものをとるのにそんな道具を使う意味なんて何一つありません。移動していないのに手が届く、さわっていないのに戦車が動く、離れたところから字が書ける、話しが出来る。つまり本来あり得ないことをあるように見せるのが遠隔操作の魅力なのです。
これは子供にとってはかなりリアルな体験です。というより、リアリティの基本にはこの驚きがあるような気がします。モノを見たり感じたりする位相がずれるわけです。
いまだに世間では写真的リアリティがリアルの代名詞として使われていますが、そんなのは「死んだリアル」に過ぎません。ほんとのリアリティ、つまり「現実感」は、現実だと感じることなわけですから、写真的現実を見て現実のようだと表現をするのはどこかおかしいです。やはり「俺は今現実と向き合っているぜ」という感覚に対してこそリアリティという言葉が使われるべきです。
話しがちょっとずれてしまいましたが、遠隔操作はかつてはそのようなリアリティを感じるためのとてもイイ素材だったような気がします。でも今はどうも違ってきているようです。今では遠隔操作の方が「写真的リアリティ」になっています。僕が子供のときに夢想した形とはちょっと違いますが、ほんとにベッドから動かないで生活することだって不可能ではありません。でもそれが可能になった今、そんなことを望む人は逃避願望に取り憑かれた人ぐらいでしょうね。


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