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20020725: ぼくはようすいをのんでいる

凄くいい文章に出会ってしまいました。
以下引用
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ぼくはおしっこをしている

おゆのようなようすいできもちよかった

おかあさんのおはなしをきいている

ぼくはようすいをのんでいる

ぼくはおしっこをしてようすいをきれいにしました

おちんちんがおおきくなってくる

(中学3年生知的障害児の文)
『障害児(者)のセクシャリティを育む』大月書店
(本ではここに、臍の緒に繋がった胎児の状態の本人による絵が添えられていました)
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これを読んだら急に懐かしさとせつない気持ちがこみ上げてきて何ともいい気分になってしまいました。

女の子のことは分からないですが、男の子はこういう気持ちに誰もが身に覚えがあると思います。僕も小学校の三年生ぐらいの時、目が覚めると部屋の中が異様に甘く明るくて、気がつくと今まで感じたことのないせつない気持ちに襲われてどうしていいかわからなくなってしまいました。苦しいのですがイヤな苦しさじゃない。何かが欲しいことはわかっているけど何が欲しいのかはわからない。仕方なく枕とフトンをかき集めて胸に押しつけ、思いっきり抱きしめてじっとしていました。あの時の気持ちを表そうと何度か絵を描いたこともあります。あまり上手くはいきませんでしたが。

とても遠いものを感じるとき、実態のつかめない憧れに胸を締め付けられるとき、こういうときの切なさも根は同じ様な気がします。かといって体内回帰願望とか、思春期の性の目覚めとか、予定調和への憧れとかで説明してしまうのは嫌いです。そういうことだけに収まらない生きていく力の原動力みたいなものが、きっと元の力としてあって、まるで火山からマグマが噴出するみたいに、身体の変化や気持ちの変化によって出てくるのだと思いたい。僕はそう考える方が可能性が無限に広がるので好きです。

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