行き詰まったときの馬鹿な行動、それは必要悪。
ポキポキ。
意味はありません。すいません。
せっかく向き合っていたガラージュのページ制作ですが、きのうも書いたように、この何日かのせいで今日はそれを取り戻す作業になってしまいました。少しは実際の作業もしましたが進展はほんのわずかです。
ところで「こなす」仕事と「生み出す」仕事では、流れる時間が全く違います。「こなしている」時には「先」を見ているので荒れた早い時間が過ぎていきます。「生み出している」時は「今」と共にあるので濃密で等身大の時間が流れていきます。出来ることなら「こなす」仕事はもうウンザリなので止めたいのですが、そうもいきません。でもこれをすればするほど「生み出す」事は遠ざかっていくのです。
たぶん決定的に戻れない分岐点みたいなモノがあって(それはおそらく自分の体によって規定される)、その一点を超えてしまうと二度と生み出すことは出来なくなってしまうような気がします。こういう状態は現代社会においてはよくあることなのに、本質的なところでは全然ちゃんと問題にされてないし、適切な認識も成されていないように思うのですが、自分的には物凄く重要な問題だと思えて仕方ありません。
人(というより生物は)はおそらく、本質的に「生み出す」動物だと思うのです。このところよく考えるのですが、生物が生きているということは、それ自体が例えば重力に逆らうとか、夢を見るとか、進化するとか、「"過剰な意志"を持った」営みのように感じます。基本は「生み出す」事でしかないんじゃないの、ということです。
「生み出す」仕事のないところには「こなす」仕事なんてあるわけがないのです。なぜなら「こなす」仕事は「生み出す」仕事のシミュレーションに過ぎないからです。


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