きのうの宇宙人の話ですが、僕はどうも、ああゆうシチュエーションに過剰に反応するみたいです。
しかも肝があって、それは自分が決定的に一人になるということです。だから周りが宇宙人になるのでも、自分だけが怪物になるのでも同じように反応してしまいます。
BIOGRAPHYにも書いてありますが、変身モノが好きな理由はここにあるようです。僕の書いた唯一の絵本「みんなきえちゃえ」も変身モノではありませんが、ふとしたきっかけで自分が一人になってしまうという話でした。
思うのですが、世の中には二つの話があって、それは「誰かに出会う話」と「自分が一人になる話」なのではないでしょうか。これをエロス志向とタナトス志向と言い換えてもいいかもしれません。もちろん物語的にこれらが合体したものもあるでしょうけど、それは割と希有な存在だし、通奏低音としてはどちらかの立場に立って語られることが多いような気もします。
まあ、それはいいとして、この「自分が一人になる話」、タナトス志向の話ってネガティブにとられる事が多いと思うのですが、僕はそんなことはないと思っています。確かにネガティブに語られるだけでカッコつけのニヒリズムになっているものは多いですが、「自分が一人になる話」というモチーフが持つ普遍性と重要性は、もっとずっと深いし生きていく上でなくてはならない大事なものだと思うのです。
これを否定的に捕らえてしまうことは(もしくは色眼鏡で見てしまうことは)、ある意味自分が生きているという認識を半分放棄するようなものです。生物はほっといたって死に向かっているわけだし、そこでは幻想や逃避ではない「死の認識」を求めるのは、例え不可能であっても当然の要求であるはずです。偉い坊さん達もみんなこれを求めていたわけですし、安易な誘惑に負けない意志さえあれば、それはこれ以上ない冒険でもあるはずです。


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