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20021031: 奇形性と個別性

ファッション雑誌を見ていて思ったのだけれど、今のファッションって奇形性を個別性に変換するような試みをやっているような気がした。そんで、これは自分的にはとってもいいことだと思う。

ただここで間違えて欲しくないのは演出された奇形性は逆に個別性への変換にならずに「新しい奇形」という記号を作り出すのにすぎないということだ。それはグループ化であり新しい差別であり依存の温床でもある。でもいくらデザイナーが頑張ったところで一般化したときにはこのような「新しい奇形」に堕してしまうんだろうけどね。

まあ、そういうつまらない話はおいといて面白いのはまずモデルの傾向だ。モデルなんてその体型からして奇形に近い人たちが多いけど、それどころじゃなくてこのモデルに着せなかったらこのインパクトは出ないだろうってぐらい、異端な感じのするモデルが多いのだ。そこへ持ってきてこのところの傾向は割とディスコンストラクション(脱構築、既にある秩序なりルールなりを一度解体するような行為。アシンメントリーだったりコラージュ的だったり)なデザインが持ってこられるから、なおさらモデルの奇形性(と言うか個別性)が強調されるのだ。

これってちょっと深読みすると現代がいかに「見た目コンプレックス」に悩んでいる人が多いかの裏返しって気もする。だから意味があるのだ。「自分は美しくない」「充分は特殊だ」という思いがどれだけその人の人生を台無しにしてることか。そんな時代には「演出以前のより特殊な外観」つまり「奇形性」が一人一人の「個別性」を当たり前のものとして回復するためにとっても重要な役割を果たし得るんだという気がする。

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