「世の中にはいろんな人がいる」この単純にして奥の深い事実を僕はどれだけ知ることが出来るのだろうか?
そもそも「世の中にはいろんな人がいる」というのはどのような意味を持っているのか?「世の中にはいろんな人がいるんだからジロジロ見ちゃいけません」とか「世の中にはいろんな人がいるんだからいちいち怒ってないで寛大になりましょう」とか「世の中にはいろんな人がいるように見えるのは自分の多様性が映し出されているのに過ぎないのだ」とか「世の中にはいろんな人がいると思ったら大間違いだ」とか「世の中にはいろんな人がいると思ったら大間違いだ、と思ってる人がいるなんて世の中にはいろんな人がいるもんだ」とか、そりゃもういろんな「世の中にはいろんな人がいる」があって、全ての「世の中にはいろんな人がいる」は知ることが出来ないぐらい「世の中にはいろんな人がいる」のだ。つまり人生はいつまでたっても未踏のジャングルだということです。分類や分析はちょっとしか役に立たない。何故なら「世の中にはいろんな人がいる」がいるからです。そんなに「世の中にはいろんな人がいる」んなら、もっと他人のことを理解して思いやりのある社会をなんて言ったところで「世の中にはいろんな人がいる」わけですがら、それさえも通じないぐらい「世の中にはいろんな人がいる」のです。つまりどれほど「世の中にはいろんな人がいる」かといえば、「世の中にはいろんな人がいる」という言い方ではくくれないぐらい「世の中にはいろんな人がいる」とでもいえばいいでしょうか(そしてそれさも通じないぐらい、以下略)。
これはきっと「考えてはいけないこと」なのかもしれません。なぜならあたりまえだからです。「世の中にはいろんな人がいる」のでこれも私一人の考えに過ぎませんが、この事実をホントに当たり前に感じていたならば「世の中にはいろんな人がいる」なんて思うこともないのです。そういうものです。結局「世の中にはいろんな人がいる」ということが問題にされるのは「意外性」を感じさせるための習慣的世界が既に存在しているからであって、その習慣的世界の確立されていないところでは「世の中にはいろんな人がいる」などという認識は生まれてこないだろうからです。


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