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20021129: [ru]は18禁にするべきか?

もしくはR指定とか。
今まで一度も苦情とか来たこと無いんですが、外人のサイトとか見てるとかなりマジメに写真とかとってるような人でも注意があったりするんですよね。

自分では「表現」は本質的な意味でのトラウマになることはないのではないかとかと考えています。たとえどんなに低俗とされているようなモノであってもです。でもそれを利用して無理矢理見せるようなことをすればそれはトラウマになりうる。そこで「トラウマになるような経験に繋がりうる表現」は罪だという議論もあるでしょうが、そんなことを言ったらあらゆる事象は人を傷つけることに利用できるわけですから、全てのものが許されなくなってしまうでしょう。バナナを無理矢理食べさせられたことでトラウマを負ったからと言ってバナナに罪があるといえるでしょうか。

例えば僕は小学生の時に駅前の道路の上で週刊誌のヌード写真を目撃して物凄くドキドキしました。「あの人のお母さんやお父さんはどう思っているんだろう」とか「あんな風に裸を写真に撮られて本にまで載ってしまって恥ずかしくないんだろうか」とか「ひょっとして無理矢理やらされているんだろうか」とかそんなことを思いました。でもそれと同時に強烈な憧れの気持ちも持ちました。とても立派に見えたのです。その立派さというのは自分が手が届かないぐらい遠くにいるという感覚によってそう感じたんだと思います。実際はどうだかわかりません。イヤイヤやってたのかもしれないし、コソコソといじけていたかもしれません。でもそれはどうでもいいんです。自分が偶然出会ったにしろ意志を持って出会ったにしろ、主体的な行動の中で出会う限りにおいては「表現」はトラウマにはならない。

もちろん「表現」がトラウマの自覚へのきっかけになることはあり得ます。でもそれはむしろ治療的です。世の中のあらゆる変態行為が治療的であるように。

結局人が傷つくのは実際の人間同士の関係性が決定的に損なわれるときです。きっかけにはなっても一枚の絵がそれ自体でそのような力を持つことは出来ない。そしてあらゆるものはきっかけになりうる。

ある女の子がまだ三歳ぐらいの時にドラエモンの映画を見ていました。するとそのエンディングで泣き出してしまったのです。感動したわけじゃないですよ。恐くて泣いてしまったのです。それは悪者のロボットが壊れるシーンでした。最初は自分から進んでみていたわけですから、そこまではいいんです。でもそこで「なに泣いてんの、ほら、恐くないよ」といってその場にいさせようとしたら、もう手がつけられないぐらい大泣きを始めました。それをやったのは僕じゃありませんが、まあ、とっても可愛かったです。でも本人はそれどころじゃないんです。これは立派な暴力なんですよね。下手したら急にお母さんが別人に見えてしまって地獄の門番のように感じてしまうようなことだって無くはないわけです。

でも表現のために罪を犯しているのであればこれは別問題なのは言うまでもないです。スナッフムービーとか幼女誘拐とか。アメリカとかがピリピリしているのはどちらかというとこっち側の問題なんですよね。そりゃもう想像できないぐらい深刻な問題になってる。しかしこれもサクバの嫌いな因果関係の話しで言えば、そこまで深刻な問題に発展するような関係性の破綻が既に存在しているということの表れです。

[ru]はとりあえず今のままやっていきます。自分にとってはどの作品も外にでなくちゃいけなかった作品だし、この作品達が原因で誰かを不快にすることはあっても傷つけるようなことはないと思っています。

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