January 2003Archive

1_30.jpgなんか調子悪いと思ったら熱がありました。
風邪、ひきすぎです。きっと何かの変わり目なんでしょう。そういうことにしておこう。きのうも訳分かんないこと書いてるし、どうも変だなと思っていたですよ。勘弁してつかぁさい。

でも今日はル:通信の準備をしておきました。小説の校正がまだですが、2?3日の内に発行予定でいます。読者の方はお楽しみに。(なんとなく面倒で迷ってる人は今すぐ購読しよう!たまにしか届かないし、どうってことはないっす。怖いことはなんもありません)

ところでこの絵はなんでしょう?5分ぐらいで描きましたが、なんかを表しているんでしょうか?ま、イタズラ書きってことで。
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ガラージュ動作確認アンケートは今だに継続中。

コンピュータを使うようになってから自分の部屋や机に無頓着になっている。最近は特にひどい。

デスクトップが散らかっていると気になるのに、机が散らかっていても気にならない。これはどう考えてもいいことのようには思えない。サイトの制作やデジタルで絵を描くことやプログラムを覚えようとしたのは自分の意志だ。だからそれが生活の中心になることは少しも不思議ではないけれど、自分という存在はマシンの外にあって、そこで食べたり出したり座ったり眠ったりしているのであって、それが快適に出来ない状況では、やりたいことだってまともに出来るわけがない。わかってるんだけど、どうにも「現実」がリアルに感じられなくなっているようだ。こんなのはただの依存に過ぎない。ゲームをしているのと同じだ。要するにゲームにハマっているのである。

五年ぐらい前に初めてマシンを買おうと決心したときに、その決め手になったのは3Dをやってみたいということだった。コンピュータで絵を描こうなんてことは、せいぜいスキャニング画像の加工ぐらいでほとんど考えていなかった。どうしても作品として提示できるようなものがコンピュータで作れるなどとは思えなかったのだ。(実際その頃のマシンの性能では、よっぽど金をかけない限り作品に出来るようなデータサイズを扱えなかったというのも事実だ)

今はどうかというと、状況は一変している。マシンは速くなってでかいデータもかなり楽に扱えるようになり、プリンタも高性能になってデジタルデータに新しい出力分野を作り出した。ネットも高速になり昔ほどにはデータサイズを気にしなくてもよくなったし、なによりも利用者が圧倒的に増えている。スピードは現実を変質させる。車がそうであったように。これは良いとか悪いとか以前の事実だ。自分はと言うとそのスピードを利用して何事かをやろうとしているらしい。それも事実だ。肯定、否定の如何に関わらず。

ぼくは絵を描く。ぼくは描いた絵を見せる。ぼくはその絵で商売をする。スピードを利用して。ぼくはキャンバスを買う必要が無く、ぼくは画廊と契約して金を払う必要が無く、ぼくは店舗を借りる必要がない。スピードのおかげで。その代わりに、ぼくは速いマシンを買い、ウェブサイトを運営し、プリンタを購入する。それがスピードを利用することの代償だ。そしてその代償には自分の机に無頓着になることや、メールや掲示板が気になってしょうがないことや、その他諸々のつまらない気がかりも含まれている。この代償が見合ったものかどうかは今のところわからないしどうでもいい。何故ならそれが自分にとって新しいものであるが故に楽しんでもいるからだ。

でも一つ気になることがある。絵を見せる場所としてウェブ、というかモニターはチープすぎるし、つまらなさすぎる。これがいまだにスピードが遅いせいなのかははっきりとは出来ないけど(画面解像度とか、処理能力とか)、少なくとも現状がつまらないということは確かなことだ。モニターを最終出力として考えるなんてことは絵に限っては不可能なぐらい魅力がない。今あるメリットといえば、すぐに見られる、いろんな人のものが居ながらにして見られる、という「便利」以上のメリットは無いんじゃないだろうか。だってたとえデジタルデータの絵であっても、プリントしたものを見たりすると、そっちの方がぜんぜん魅力的に見えてしまう。

今自分がプログラムにこだわっている理由って実はこの辺にあるんじゃないかと思っている。モニターにはモニターに相応しい表現形式があるはずだ。それはたぶん額縁やタイトルのようなものなんだと思っている。ある表現を横断(楽しむ、もしくは観賞)するための仕掛として、ゲームのようなプログラムが必要なんじゃないかということだ。本という形がなかったら小説がなかったように、入力装置を備えたモニターだからこそ、そこから生まれる表現形式があるはずだ。

そんなわけで不健全な依存生活はまだまだ続きそうです。


●遊び方
start地点にカーソルを合わせるとゲームスタート!
あとは道から外れないようにゴールを目指せ!
ジャングルには残忍で陰湿な悪魔や、危険でエロで臭い変質者や、からみだすと止まらない酔っぱらいががウヨウヨしてるぞ!
さあ、あなたは無事このジャングルを抜け出すことが出来るのか?!

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超単純ゲームです。おこっちゃダメ!
千里の道も一歩から。オヤジのハゲも一本から。
ってことでお試しの道はまだまだ続く。線路は続くよどこまでも。
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ガラージュ動作確認アンケートもよろしくー!

1_27.jpg1_27-2.jpg仕事で一日flashをいじってました。
覚えますよ、flash。プロジェクトの方もflashで行くつもりでいます。スクリプトもjavascriptと似てますし、なんとかなりそうです。仕掛けを作るのはやっぱり大変ですが、動きのデザインが簡単に出来るところと、プラグインさえ入っていればブラウザのことを気にしなくてもいいところがなんといっても魅力です。

特にブラウザごとの解釈による表示の違いにはほんとに呆れているので、それから解放されるというのはほんとに有り難い(といってもそんなに真剣に取り組んでいたわけではありませんが、とにかくガッカリさせられることが多かったので)。

試しにルのトップページも作ってみました。お試しってことでなにもかも適当ですが、これをjavascriptで組んだら、少なくともサクバがやるようなレベルでは普通のマシンでは動きません。スゴイです(ちゃんと見れてますか?)。
RU.swf

いろいろ奥が深そうなのでまだまだ大変そうですが、案ずるより生むが易しってことで迷走中。
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ガラージュ動作確認アンケート継続中。

tokage.jpg「人類は遂に微生物の体内にICチップを埋め込み自由にコントロールすることに成功しました!」というニュースがテレビで流れ、外に出てみるとその技術を利用したサーカス団が早速パフォーマンスを繰り広げていた。20メートルぐらいあるトカゲがビルにへばりついてクモのように素早く動き回っているし、通りでは不思議な生き物がパレードをしている。近づいてみると粘土のようなものがカニに変形したり、出来上がった生物にレーザー信号のようなもので命令を組み込んだりしているのであった。ぼくは、とうとう怪獣が現実のものとなるときが来た!と、思いながら、いったいどうやって微生物同士を一つの形にして命令系統をまとめるのかと頭を悩ますのであった。

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という夢を見ました。もちろん色つき。
他にもカッチョイイのがいましたが、トカゲはこんな感じでした。何故か場所はイギリス。何故にイギリス?

そういえば明晰夢といって自由にコントロールできるような夢があるらしいです。小学生の頃そんなことが出来たらどんなにいいだろうと思ってました。幽体離脱とかもこれの延長上に考えられるとか。訓練次第でコントロールの幅も広がるらしい.........むーん、出来たい。
坊さんの修行とかも似たようなもんだし(ラマ僧がやっているような)、絵を描くというのも意識のコントロールという点ではかなり共通する部分があると思っています。だからなんだってわけじゃないんですけどね。
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ガラージュ動作確認アンケートもまだまだほんとによろしくお願いします。

kuro2.jpgkuro1.jpgなんだかよくわかりませんが、露光したような感じです。勝手にこうなってしまいました。なんのネタにもなりません。とほほ。

いや、なんかあるんでしょうけどね。言葉にするだけがいいとは限りませんし。

言葉にするってある種、囲い込むような感じがあります。動物園みたいなものだと思ってます。ほっとかれてるものと檻に入れられたものとはやっぱり違うんですよ。同じパンダでも。かといって言葉を否定しているかっていうとそんなことはない。たぶん言葉のような「切り取る」という暴力がないとコミュニケーションなんて出来ないんです。でも絵だって言葉のように既に切り取られたものであるのも確かです。切り取られたものをさらに切り取るとなにが起きるか。なにも起きません。と、思ってます。それは説明された絵ではなくて、ただの新しく切り取られた言葉になるだけなんじゃないでしょうか。

この手のことをちゃんと説明しようとすると、すぐに混乱して迷路にはまってしまうのが目に見えているので深入りはしませんが、一つ思うことがあるのは、言葉っていうのはすぐに返すことが出来ますよね。同じ言葉で。それでぼくは、絵も同じように絵で返すことが出来ると思っているのです。でもこっちの場合は目に見えにくかったり恐ろしく時間がかかったりする。でもそれは普通にあることなんじゃないかと思っているんです。そしてさらに同じように、音楽にも建築にも全部言えることだと思っています。つまり言葉ではないものも長い目や敏感な感覚で見れば既にインタラクティブなものなのではないかということです。とは言っても気付いたときには相手が死んでいたり、あまりにも微妙でただの勘違いや思い過ごしにされたりもするので、そんなのコミュニケーションとは言えねぇよ!と、言われればそれまでなんですけども。

tori.jpg引き続きパラダイス系で。
NEWSの為に、忙しくても眠くても絵を描くというのはけっこういいかもしれない。自分のために。

絵なんて下手でも失敗していても描いてナンボのもんです。描きたいものがあるんだったらとにかく描けと。そしてとりあえず描き始めたら手の言うことをきいとけばいいんです、たぶん。そんな風にしかなにかは動いていかないんだって気がします。絵に限らず他のことでも一緒なんでしょうけど。

でもなにをするんでも形にしなきゃっていう気持ちが働くとこの「とりあえずやっとけ」というものの入り込む余地が無くなりがちになるんですね。全ては「とりあえずやっとけ」からしか始まらない。「形にする」のも「とりあえずやっとけ」の上にしか成り立たない。きっとそうだ。

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