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20030212: はみ出したもの

2_12.jpg俺はルで金を稼ごうとしていたのであった。
そのためにルを作ろうと思っていたのであった。
その稼いだ金でプロジェクトをやり、そこで稼いだ金だからこそ自由に出来る、と思って始めたのであった。
そういう金のまわり方で作品が作れたらどんなにいいだろうかと思い、そして同時に、そんなやり方で自由に出来るのはカッコいいと思い、どっちも上手くいかなくても、そのやり方を試してみようと決心したのであった。

それはとんでもなく馬鹿でもあり、馬鹿であるからこそ楽しそうでもあり、それは気に入らない言葉だけどアーティストのやることとしては、リアルにラディカルなこととしても感じられ、俺がそれをやるのはピッタリだとも思い、見てろよこんちくしょう、こんな風に好き勝手なことをやるやり方だってあるじゃんか、どんなもんだい、といってみたくもあるのである、のである。

しかししかし、自分が作品に対して持つ野心と、そこでやろうとしている試みを宣伝したりプロモートしたり維持したりリフレッシュしたりという、いわゆる商売的で社会的で経済的で革命的で戦略的でファッショナブルで意図的で挑発的でデザイン的でバトル的な野心はなかなかどうして両立してくれたりはしないのである。だって立ってる場所がまるで違うんだもの。

作品を作るときには「ここ」にいないことが必要だし。そうでないときは「ここ」にいないとだめなんだ。つまり俺が決心したことは「ここ」にいないことをするために、「ここ」にいるということを実践しようということなんだと、今さらながらにわかったのだ。

アーティストなんてものは、よく言われるように、プロモーションされてナンボのものなのである。プロモーションされないアーティストはどんなにイイものを作っていても食って行くことなんて出来ないのだ。テレビと本がなかったら、ダライ・ラマなんて名前も知らないのである。

俺は食って行くことに対する真剣さが足りないのだ。
こんなことを言うと勘違いする人がいそうだけど、食って行くこと自体は今の日本ではそんなに難しいことではない。これはただ単に「絵で食っていく」とかそういうことではないのだ。カネだけに関して言うならば、今自分が描ける絵で食っていくなんてことは願い下げだ。そんな風に絵を描いても俺はそういう自分に満足は出来ないのだ。なにがなんでもやりたいようにやらないと気が済まないのだ。

今はぜんぜん両立なんて出来ていない。
出来ていないから出稼ぎもすれば、クライアントの言うことだって逃さず聞きます。誠意を持って。
でも、俺はそれ以上にわがままなんである。そしてそのわがままが収まりきれずにはみ出したものがルなのである。
なのであるよ。もっとわかっとけよ自分よ?。

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