子供パワーの一定部分は締め付けによって生まれている。という論理は嫌いですが、ある程度はほんとでしょう。発禁本の裁判みたいな話ですね。エロティシズムは禁止の上に成り立っているとかさ。こういう話はどうしても視野が狭くなるのでそういう土俵にはあまり立ち入りたくないのだけど、あらゆる制約が無くなったところで制約は永遠に存在し続けるということでカタを付けておきたい、と、いつも思います。
人間は鳥ではないし、植物でもない。その上生物はみな死ぬのです。それだけで制約としては充分でしょう。つまりどれだけ制約を人間社会の中で外したところで、子供パワーもエロティシズムもロマンティシズムも無くならない、僕はそう思っています。
学生の頃に友達と話していて、その友達が最近聞いた話としていっていたのですが、ある人が「学生運動があった頃とか戦争中とかはリアルがあっていいよな」といったところ、そこに居合わせたもう一人の奴が「そんな状況じゃないとリアルを感じられないようじゃダメだと思うぜ」と返したそうです。僕はその話を聞いた時「俺がいつも考えていることはまさにそれだ!」と思いました。そしてその気持ちは今も変わっていません。
特殊を求めてはいけない。そんなものを求めたところで、得られるのせいぜいチャチなかぶりものです。やっぱすっぴんで行かないとね。


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