エキセントリックなものというのはほとんどの場合ちっともエキセントリックではない。何故なら巷に溢れているエキセントリックなものはエキセントリックでありたいという欲望によってエキセントリックなフリをしているものばかりだからだ。そこではエキセントリックに見える寿命の短い技術が日々開発されていて、それらを駆使していかにしたらエキセントリックに見えるかという競争があるだけだ。それはエキセントリックではなく極めて日常的で一般的な現象だ。エキセントリックなものは作為の中には宿らない。どんなものがエキセントリックかの定義はどうでもいい。作為のないエキセントリックは本物のエキセントリックに決まっている。イヤなのは勘違いと、かばいあいだ。エキセントリックではない人間がエキセントリックなフリをして、いかに自分たちがエキセントリックであるかを讃え合い、いかに自分たちが本物であるかを確かめ合う。ああ、気持ち悪い。エキセントリックなものは魅力的だ。エキセントリックなものには本質的に人を惹きつける力がある。おそらくエキセントリックであるという定義の中に死が本質的に含まれているからだ。どうでもいいとかいいながら意味を考えているバカな奴。死を考えるんじゃなくて、死を生きろ、と飛躍したくなった。
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