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20030711: マイノリティ

ぼくは自分をマイノリティ(少数派)だとは思っていません。通常用いられている意味においては充分マイノリティですが、じゃあマジョリティ(多数派)ってなんだろうかと考えるとまったくわからなくなります。そんなものはいったいどこにあるのでしょうか。ぼくにはあらゆるものがマイノリティの集合のようにしか思えないのです。そしてあらゆるものがマイノリティであるのならば、マイノリティという言葉はその存在意義を失います。だからぼくは自分をマイノリティだとは思えないのです。

12歳の子が小さい子を突き落として殺してしまったけど、その出来事自体にはやるせない気持ちになるのに、その12歳の子に対してはすごく感情移入してしまっている自分がいます。神戸の事件の時もそうだった。何故そういう行動に走ってしまったのかが理解できるような気持ちになってしまう。いっとくけどこれは擁護でもなければ同情でもありません。それ以前にどんな枠組みなり欠落がそのように彼を導いたのかがリアルに想像できるんです。想像した事実がどれだけ正しいかということではなく、自分の気持ちの中の収まるべき所にその過程がスッポリと入っていく。

ぼくは自分を異常だとは思っていません。マイノリティだと思っていないのと同じように。あらゆるものは異常の集合であり異常とはある意味幻想でしかない。そして異常は「正常」によってしか生み出されない。異常と正常の間、マイノリティとマジョリティの間、男と女の間、病気と健康の間、障害と健常の間、そこには夥しいバリエーションがあって、それをそのままに受け入れなくちゃ面白くも何ともない。枠を外せば出来ること、枠を外せば楽になること、枠を外せば続けられること、そういうことがいっぱいある。でも、枠を外されると困る人もいる。それは枠にしがみついている人だ。でもそんな人の面倒なんて見てらんない。その人たちの面倒をみようと思ったら永遠に枠を外すことなんて出来ないから。

ぼくは枠がいらないとは思わない。言葉も枠だし、カネも枠だ。ただ、枠がないということを基準にするべきなんだ。複雑化が進むほど枠を外すのは困難になる。でも一生枠から外れることが出来なかった人はとても不幸だと思う。最後にはほんとのほんとに外れなくてはならないのに、それの練習が出来ないなんて。しがみつくのはほどほどにしとけよ、と
NHKのアナウンサーに言いたくなった。

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