September 2003Archive

ru000076.jpgru000077.jpg自分とこでラクガキ二枚。
二枚ともでかい。
大きく描くのが描きやすいし気持ちいい。
まあ、モニタが小さかったりすると厳しいんだろうけど、割とみんな小さいのを描くなぁと思っていたりする。縮小表示とか出来ればいいんだろうね。ウチで使っているしぃペインターは描いているときは縮小できるんだけど、これが白っちゃけちゃって全然使えない(Winだと違うのかも)。PBBSは平等感があってそれだけで伝わり安いってのもあるし、ライブ感があるし、アニメ機能も面白いしでもっと遊べるんじゃないかと思っているんだけど、どうせ描くならプリントぐらいしたいなとか、徹底的にやってみたいなとか思ってしまう。そうするとどうしても画面の大きさが壁になる。誰でも簡単にコピーできるところにそんな高解像度の絵をおいておくのもどうかと思わないでもないけど、この際せこいことはいいっこ無しだ。何万円もするようなソフトを買わなくたって、ブラウザがあるだけでどんな絵でも描けるってのはスゴク良いことだ。

yoru.jpgyoru1.jpgyoru2.jpgyoru3.jpgyoru4.jpgyoru5.jpgyoru6.jpg夜の散歩をした。
知らない場所で、なんもないようなところをあてずっぽに歩いていたら、久しぶりに放り出されたようなちょっとさみしい気分が味わえた。

ああ、今、急に、迷子になったり道に迷ったり、誰もいない場所でどこまで歩けばいいんだか分からないぐらい果てしなく歩かなきゃいけなくなったりした記憶が、どどどどって連鎖して甦った。子供のときに、こういう怖さはなるべく味わいたくないと思ったものだけど、こういう怖さに負けちゃいけないんだと同時に強く思ったんだ。今もどこかで果敢に立ち向かっているガキ共がいるだろう。大きくなってもそのことを忘れちゃいけない。その怖さは忘れたつもりになっても絶対に無くならないものだからだ。

ピスタチオ、ポリポリ

パキッと剥いてポリポリ

一つ食べるとまたパキッとポリポリ

たまにお酒をチビチビ

チビチビやるとまたポリポリ

いつまでたってもポリポリ

パキッとポリポリ

パキッとポリポリ

パキッとポリポリ

チビチビ

パキッとポリポリ

見れば机は殻の山

どこからどう見ても秋です。

下のはまたウェブテントで遊んだ成果。
バイクは縮めたら細かいとこが潰れちゃった。
大きいのはあちらでどうぞ。
bike-4.jpgJUGONG_002397.jpg

一日遅れで、26日の早朝に起きた十勝沖 震度6の地震を知った。
友人が帯広にいるので、土曜朝のテレビニュースで十勝川逆流や倒壊した家屋の映像を見てビックリした。心配するには遅すぎだけれど。
友人の住む辺りでは激しく横揺れはしたものの、という程度ですんだようだ。
宏観異常現象が前日にあった(感じていた)ようで、何か揺すられているような不快感とか、不安定で不調になり仕事を休んだというから、その時はそれがどういう意味かわからなくても身体の方は前兆を感じていたことになる。後になってみれば「これだったのか」ということになるんだけれど、よほど敏感な人か経験がなければどうにも予想がつけられないように思う。
でも、予知できたところで案外どうにもならなさそう。
いつ来てもおかしくない関東直下型は、ほんとに今来てもおかしくない状態らしいので、避難用リュックを一応用意してはいるけれど、最悪富士山噴火も有りの、望月峰太郎漫画「ドラゴンヘッド」のようになったら逃げようがないか。

今日できることは今日の内にやっとこう。

今日はなーんも書くことを思いつかない。
いつものことだけど。
ぽかーんだ。
すっからかーんだ。

つうわけで、きのう描いたラクガキを三枚。
どれもウェブテントで描いた。
一番下のはどうにもまとまらなくってボツったもの。
JUGONG_002327.jpginter.jpgfuji_drive.jpg

koya.jpgpink_shadow.jpgラクガキ2枚。chimi chimiで。
いろいろ考える。
考えるってなんだ。
感じる。
感じる?
影響を受ける。
うける?
絞り出される。
される。
出されていこう。

ああ、あと2時間ぐらいで44歳だぁ。
40過ぎのおやじなんてどんなヤツだろうと思っていたけど、別にどんなヤツでもなかった。今60過ぎの人を見るととっても年上に見えるけど、いざ60になったらこんなもんかって思うんだろうか?それまで生き延びていれば。

最近ますます歳とか時間のことがよくわからなくなってきてる感じがする。そりゃあね、10代とか20代の頃は30、40にもなる頃にはもうやりたいことも全部やっちゃって、とっとといなくなってんじゃないかとか思っていたわさ。でも、そういう意味じゃ、たしかにやりたいことをやっちゃった感はあるんだ、出来、不出来は別だけど。いいもんが出来さえすれば、いつ死んでもいいとか本気で思っていた人間(恥ずかしいな!)としては、正直どうなのよ、ってこともなくはない。だけど「やりたいこと」とか「いいもの」とか、そういうものは出来ないヤツの憧れに過ぎないんだなって思うようになった。未だに出来ないヤツなのでその憧れが消えたわけではないけど、それはそんなに大したものじゃないような気がするんだ。

35歳ぐらいの時だったと思うけど、どんな絵を見ても「これは誰かがこんな風に生きながら、実際に手で描いたものなんだ」というのが感じられるようになって、最初はそのことに感動したんだけれど、その後には逆に無感動がやってきた。「すごい」ということがこの世から無くなってしまったような気になった。奢りのように読めるかもしれないけど、そうじゃない。なにかがもし始まるとすれば、ここからしか始まらないんだという感じがした。それまでは「すごい」人に支えられていたけど、もうそういう人は居ないんだと思った。いるのは自分と同じように生きた(生きている)暗闇を手探りする人だけなんだと思った。

あれから、もう年10ぐらいは生きていることになるわけだけど、なにかが変わったとは思えない。ずっと暗闇の中だ。多少は暗闇がシンプルになったかと思えるぐらい。よく言われるように作品がウンコだとするならば、どんなウンコをするかはなにを食ったかで決まる。ウンコのために食い物を決めるのはつまらない。ほんとに暗闇がシンプルになっているかどうかはウンコを食えばわかるはずだけど、最近自分のウンコはあまり食べないので、それもはっきりしないのです。

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