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20030910: 寂しがり屋

ru000048.jpg40歳以上のネット人口ってどれぐらい居るんだろう。10%以下かな。その中でお絵かき掲示板でなんかできないかと思っている人はどれぐらい居るんだろう。0.01%ぐらいかな。...って、自分が珍しい人間だっていいたいわけじゃなくて、そんなことを自覚しておくのも悪くないかもと思ったんです。何故かといえば、自分が寂しがり屋だからです。さみしい自分に対抗するには、第三者的と思われるような意味のない数字は割と役に立ったりする。現実に存在する「あの人はちょっと違うから」とか「興味はあるけど見るだけにしておこう」とかいう、大多数の人々と折り合いをつけるにはそういう認識はとても大事かもと思ったり。

でもここで言っている寂しがり屋はちょっと特殊です。BBSとかチャットとかメールとか携帯とかテレビとかによってもたらされる寂しさは、すごく人工的な感じがする。これは「ほんとは俺ってもっとなんかあるんじゃないか」という勘違いによって起きる寂しさです。しかも、そんなことをいくら頭で判ったところで、この勘違いはとても強力なのです。どのように強力かと言えば、これは恋の疑似体験のように強力なのです。穴が、スコーンと開けられる。その穴は決して埋めることの出来ない穴なのだけど、吹き抜ける風が冷たくてどうにかして埋められたように感じる瞬間を何度でも反芻しようとしてしまう。恋とメディアの魔力が違うのは対象の具象性だけです。具象性を持たないメディアは、それに対抗しようとすれば恋よりも自分に向き合うことを余儀なくされるので、さらにやっかいです。恋だったら、相手から暴力的な修正がかかったりするけど、ここからはそんなことはほとんど起きない。むしろ、そういう修正は排除される方向に進む。お互いがメディアでもあるようなネットではさらに慇懃にそれが不文律となる。

いっそのことこれは恋だと言ってしまったらいいのではないかと思うのだ。多少はましになって、暴力だってマトモに振るえるようになり、それを受ける側も肝が据わりそうな気がする。メチャクチャ時間がかかりそうだけど。

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