きのう書いたジェラシーについてさらに考えてみた。
なにに対して嫉妬を感じるのか。
そこに現出している孤独の強度。だとわかった。
言い切る。自分にとって正しいのでそれでいい。
ウンザリするほどポルノグラフィを漁ってきた俺としては、何故自分がそれほどまで惹かれるのかがどうしても知りたかった。そしてそこにはまったく興味を喚起されないものと、そうでないものがあって、それがなにに起因するものかが知りたかった。
孤独の強度なのだ。
それが強いものほど価値がある。
孤独の強度こそがエロティシズムの本質だ。
そして孤独の強度という尺度で自分が引かれてきたものを測ってみると、嘘みたいにいろんな対象が浮かび上がる。サーキットを走るライダーや、ひたすら技術を追い求める職人や、機械を操作することに没頭するオペレーターや、病に冒された人間や、生まれつきの障害を持った人間や、頑なにならざるを得なかった生い立ちや、イジメや、変態や、そういうものが全部、孤独の強度という尺度で繋がってくる。
孤独の強度とは主体的な概念だ。翻弄された孤独は強度が弱い。孤独の強度は、主体が外部から与えられた孤独に対してどれだけ向き合っているかによって計られる。それを生み出した状況に主体が負けているような状態はマイナスなのだ。
プラスの測定値を持つ孤独の強度は全てエロティックだ。
俺はその測定値に欲情する。
ジェラシーを感じる。
そして求めつづける。自分において。他者の強度ではなく。
孤独の強度への欲望はは死への準備だ。
死への準備は保育園児だってやっている。
それはポジティブなんだ。
そしてそれは概念ではなく生理であると思う。


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