ガラージュのマニュアル用にスクリーンショットをとろうと思ってプレイし始めたらズルズルとクリアしてしまった。3年ぶりぐらいだよ。レア蛙まで釣ってしまってかなりのお馬鹿さんだ。まあ、動作検証も含めてってことでやっていたんだけど、さすがにフラグ(ゲームを進行させるきっかけになるようなイベント)とかは覚えていた。怪しいところもかなりあったが。そんでこれまた自画自賛だけど、けっこう面白かったので安心した。
何もかも分かっている状態だと3時間ぐらいでクリアできるんだけど、そういうやり方だといまいち面白くなかったりする。もともとそういう作りになっている。伏線やディテールの深みが見えてこない。作っているときにはそういう部分もかっ飛ばせるということが別な意味ではデジタルの魅力だと思っていたことも確かだし。今でもそう思う。かといってそんな風にさっさとクリアされることを望んでいるのかというとそれはまったく違う。
例えば小説を読むにしても、読んでいる人のコンディションや読解力によって読まれる内容なんてまったく違ってしまうものだ。ただ、アナログメディアの場合は絶対的な単語の量とか絵の大きさとかは変わらないから、読む時間や見るために目がうろつく範囲とかはデジタルほどの違いは出ない。デジタルの場合には単語の量や作品の大きささえも観客側によって変化しうるものになる。
ゲームを作ってみたいと思った理由の一つはその自由さに憧れたからだ。なんて自由なんだろうと思った。コミュニケーションや教育や学習がこんな風であったらどんなに風通しがいいだろうと思ったんだ。そしてさらにいってしまえば、もともとの現実っていうのは、現社会の教育やコミュニケーションよりも実はゲームの方に近いんじゃないだろうかと思ったのだ。
ガラージュはちょっとばかし奇妙な作りをしているゲームだと、そんなことはあまり意識していなかったんだけど、自覚したのでした。


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