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20040307: 誰か

ああ、きのうの11時ぐらいに書いたNEWSを間違って消してしまいました。誰か保存していた人いますか?ひょっとしてそんな奇特な人がいたら送ってくれませんでしょうか。いなさそうだなぁ...

3/7(Sun) 20:35

下で書いた消しちゃったログを送ってもらえた!
送ってくれた人、感謝、感謝です。
また呑みに行きましょう。

というわけで一度消えたNEWSです。

3/6(Sat) 11:27

次のプロジェクトの設定に関して思っていることの一つに「外国」が存在しなくても成立するような技術体系を提示してみたいということがある。おそらく、これはかなり難しい。不可能かもしれない。でも少しでもそれに近づけたい。

例えば石油は無し。この時点で自動車にゴムのタイヤは付かなくなる。ガソリンも使えない。プラスチックは代替物があるようだけど、微妙なものになる。ガラージュの時には物質=生物の意志だという理想主義的かつ夢想的な設定で強引に完結させたけれども、それは一度やってしまったので、使い回しは出来ないなってことで(実は未練もあり新しいアイデアもあるのだけど)避けたいのだ。

夢のような、というか、シュールリアリスティックな表現には限界がある、と思う。どのような限界かといえば、リハビリテーションとしての限界だ。リハビリテーションはその対象が存在しないところでは意味をなさない。リハビリテーションの状態にしがみつくなんてクソで滑稽だ。病は生きられるものであって、外側に求めたり、内側に閉じこもったりするものではない。リハビリテーションにも階層があり、あらゆる人が、いずれかの階層に属していて、階層がシフトしたときには、シフトした階層で新たなリハビリテーションを始めるべきであって、そこまでいってしまえば、それはリハビリテーションでさえないのである。

自分にとっての現在地点としての階層を出来る限りはっきりさせる必要がある。今、現金を得たり、ネットワークを利用したり、ダラダラと外国の酒を飲んだり、そういうことを全部込みの上で、自分自身が「行きたいと思う場所」を生きないとろくなものは出来ない

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