子供の時に退屈だった食べ物No1といえばプリッツだった。子供心には量がたくさんなのは嬉しいわけで、つい買ってしまうのだが、食べていてもチョコレートを食べているときのような幸せは決して訪れない食べ物、それがプリッツ。釣りに行ったりしたときに、なるべく長持ちしそうな食べ物としてつい選んでしまうんだけど、後で必ず後悔してしまう。
そんなプリッツをつまみにしながら、酒飲んで書いてます、このNEWS。いつまでも無くならないでいてくれるお菓子って、死ぬほど切望していたなぁ。今の子供はそんなことは思わないんだろうけど、自分はどうしようもなくそういうのが欲しかった。今の子は何が欲しいんだろう。限りなく褒められることかな。それとも不自由なぐらい囲われることかな。子供が切望するものは表面的には変わっていくけど、本質は変わらない気がする。と同時に、そういうのって無くならないんだろうなとも思う。それは欲望の無制限を表しているわけではなくて、本質的な欠乏の表れのように思いたいんだよな。だって無制限な欲望なんて生物の本質に反しているし、それこそただの幻想だって気がする。そんなのは強さでもなんでもない。もしそんな風に見えるものがあるとしたら、それは構築されたフィクションに過ぎないとしか思えない。
欠損の感覚は悪いものじゃない。それが生きるのがつらくなるほど苦しいものだとしても、それが無いよりはずっといいと思う。ほんとにそう思う。


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