求めることと与えることの違いがよくわからない。もちろん不毛な要求と実を結ぶ要求の違いがあることぐらい知っているし、不毛な贈与と実を結ぶ贈与の違いがあることだって知っている。だとすれば問題になるのは、そこにコミュニケーションが成立したかどうかであって、それが求める行為であったか与える行為であったかの違いなんてたいしたことではないのではないかと思えてくる。いったいその二つにどんな違いがあるんだ?実を結ぶ行為はどんなものでも無償の行為に決まっているのに。
もちろん、俺は愛について考えてみようと試みているんだぜ。ちょっと興味がわいたんだ。たぶん俺が馬鹿で、与えることだけが愛だと信じ込まされてきたせいなのかもしれないが、求めるもののいないところに与えることが存在できないように、与えるもののいないところに求めるものが存在できないように、そんなのはただの不毛な与えたがりの暴力に過ぎないということがなぜこうも隠蔽されるのかと腹を立てているんだ。
問題にすべきは、それが不毛かどうかであって要求か贈与であるかではない。だとすれば「求愛」という言葉は間違っている。愛を求めるのは愛を持っていないものがすることであって、求愛するものが持っていないのは、愛ではなく、入れるべき穴であったり、優しく頭をなでる手であったりするだけだからだ。
愛という概念を個人から引き離して考えればもっとうまく行く。愛とはひとつの可能性である。それは持ち物ではなく、それが実現したときにのみ実現された時間において感じることが出来るものである。と、ここまで書いたら「なぁんだ」って気がしてきた。誰かの内側に愛があると思っていた俺が馬鹿だったんじゃん。求愛という言葉だっていいとこあるじゃん。
なんか俺なんてずっと愛に生きてきたんじゃないの?って気がしてきた。どっちでもいいけど。しかしこんな言葉をよく20代ぐらいの男が歌にして歌えるよなぁ。商売だって言ってしまえばそれまでだけど、いったいどこまで本気なんだ?そっちのほうがどうでもいいけどさ。


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