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20040924: 愛の定義その3

与えることも求愛だとすれば、愛の定義はずっとスッキリする。気になってしょうがないのは定義なんだ。

愛は行為ではなく状態である。もう少し正確にいうと行為が作り出した流動的な状態である。この定義だと自分的にはとても納得がいく。そしてこの定義を当てはめてみると、彼が彼女に「愛しているよ」というのは用法として間違っている。それはただの求愛宣言に過ぎないので「好きだよ」とか「たまらないぜ」とか「やらせてくれ」とか「おまえはなんてかわいいんだ」とかのほうが正しい。愛は生まれたり存在したりはするけど、個体が自己完結的に実行できるものではないからだ。それは愛しているんじゃなくてオナニーしているといった方が正しい。そしてオナニーだって求愛行動だ。

また、この定義に従えば愛はどこにだって存在する。光合成だって愛だし核分裂だって愛だ。秋の大運動会も春のお遊戯会も愛だ。格闘技もスピードレースも愛だ。絵を描くことだって愛だ。でも定義としては全然不十分だな。だって、不毛かどうか、コミュニケーションが成立したかどうかという価値の定義がまったくされていない。定義してみたのはジャンルだけだ。いっそのこと不毛なことなんて存在しない、といってもいいし、その言い方でいえば戦争だって大量絶滅だって愛なわけで、それはそれで正しい気もするんだが、そんな風に簡単にアナーキーになって格好良くなってしまうのはどうも気にいらない。でもこれ以上考えるのは危険そうなのでやめとこ。

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