←じしん ナスカン→

20041006: 使えるものと使えないもの

ああー、もう寝なきゃだよ。
いきなりこんな書き出しされても引くよなぁ。大昔にも何度か書いたけど、ネタがないなら書くな、無くても書かなければいけないのなら、ひねり出せ、ってのが基本だってのはよくわかる。というよりそう思い込んでいるところがある。そんな思い込みをしているやつが、「寝なきゃ」なんてことを書くのはあきらかにプライドを放棄しているように見られるんじゃないかとビクビクしているというわけだ。それ以上もそれ以下でもなく。

面白ければ「寝なきゃ」でもかまわないわけだ。もちろんその通り。つまり、「面白い」=「ネタかどうか」ということだと思っているらしい。俺は。ところが妙なことに、他人が「もう寝なきゃ、明日も仕事なんだぜ、こんなの書いてられっかよ!」とかいうのを読むのは嫌いじゃなかったりするのだ。そんなのはネタでもなんでもないのに、面白がっている自分がいる。除き趣味なのか?でもスクープとかゴシップとかってのはまさにそれじゃん。

自分が面白いと思いたくないものに反応してしまう自分。そんなものに関心を示したくないという傲慢を抱えている自分。「関心を示したくない」と思っているのはダサいなぁと思えるのに、関心を示したいと思っているわけでもない。でも恋はしてしまう。恋をするのはなんて簡単なことだろう。そしてなんでこうも俺は「表現」という嘘っぱちの衣に固執するのだろう。

世の中には使えるものと使えないものがある。使えるものにもさまざまなレベルやフェーズがあって多様なのは確かだけど、今使えるものと、今は役に立たないもの、の、違いというのはとてもはっきりしてたりする。そして(面倒なので飛躍するけど)「今」とはいつなのかが問題なんだと思う。「寝なきゃいけない」のは今だけど、それは自分にとっての今ではない。もっと情けない表現をすれば、そうであって欲しくない。

八時間後の未来を予測することは簡単だ。俺は酒臭い息を吐きながら電車に乗るのだ。だけど雷は落ちるし、車にも引かれるし、彗星だって衝突するのだ。ほんとだよ。こんなにほんとなことがどこにあるんだ?

10 億年後に起こることを知らないで済む人は幸せか?そんな物言いをするのは赤の他人のただの嫉妬じゃないか。嫉妬と自慢は同じものだと今わかった。悪く言いたいわけじゃなく、それが今計測されました。ネタが真実の隠れ蓑ではなく、ネタは真実(のようなもの)へのジャンプであって欲しいと思う。

Trackbacks(0)

Trackbacks URL: /837

Comment

Powered by Movable Type

Profile

Archive

Feeds