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20041011: 演技嫌い

いわゆる「演技」というものに興味がなかったりする。きのうの模型的リアリティの話ともシンクロしてくるんだけど、演技はいらない、と、どこかで思っている節がある。それはインダストリアルワールドの悪い影響です、と言われたらその通りかもしれないと思う。病気か?でも、自分ではそう思っていない。むしろ、演技を悪だと思っていたりするのだ。それこそ病気の証だという突っ込みは置いといて、多少の弁明をさせてもらえば、演技ほど押し付けがましいものはないのではないかと思うのだ。憑依とか運動は認められても、演技というものからはいいものを想像することが出来ない。でも実際に演技をしている人からは、それこそが演技だよ、とかいわれそうだな。そうだったら嬉しいんだけど。

たぶん俺が「演技」というものに対して、過剰な偏見なり怨みなりを持っているせいなんだろうなとは思う。そこでは機械というメタファーや節足動物というメタファーが「演技なき運動」として(お決まりなパターンだけど)重要性を主張したりするのだ。別に感情を否定しているわけではないし、あくまでも表現の上での話しだ。音楽における演技、舞台における演技、絵画における演技。なんか演技という言葉に申し訳ないぐらい否定的なイメージしかもてない。もっと包括的で可能性のある言葉なはずなんだけどな。

10/11(Mon) 21:08
このところ否定的なことばかり書いているようだけど、そんなつもりじゃないんだよ。ものさしでいろいろ測っているんだ。ただ、そのものさしがちょっと歪んでいるだけなの。ほんとにただそれだけ。

ここで問題です。歪んでいるという自覚がある人間の言う事は、果たして歪んでいるという自覚の上に基づいているのでしょうか?答えは「どちらでもない」もしくは「ほっとけ!」です。

10/11(Mon) 21:22
戦場を決めて、その戦場で有効な戦略を編み出し、兵器や作戦を洗練させることには、とっても大事なことがあるのかもしれない。それを文化と言うのかもしれない。まさに。

一定のレベルまではその法則はとても有効だ。それは認めるよ。俺だってその程度には兵士でやってるさ。でも、でもだよ。戦場を見失った兵士はどうやって生きていくんだ。いや、戦場なんてどこにだってあるんだぜ。なのに、文化的で社交的な戦場なんて狭すぎるんだよ。戦場なんて言葉が吹き飛ぶようなフィールドこそが大事なのに。

10/11(Mon) 21:30
地図が失われるということはそれほど怖いことじゃない。怖いことじゃないということは、取り立ててわめき散らすほどのことではないということだ。

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