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20041014: 覗き

最近覗きについてよく考える。今の時代に生きる人は目を覚ましている時間の90%ぐらいを「覗く」という行為をすることだけで過ごしているんじゃないかと思えてならないのだ。

覗くということはたとえ事実は違っていたとしても、覗いている本人にとっては、覗いていることが覗かれている対象に意識されていない状態をもって成立することだ。たとえばテレビを見ること、新聞を見ること、ネットをやること(ネットは「見る」んじゃなくて「やる」のか?)、電車に座ること、食事をすること、仕事をすること…、とにかく人は絶えず覗いている。いったい覗くという行為を除いたら、どれほどのことが残って、その残ったものだけで生きていきなさいと言われようものなら、退屈で死んでしまうのではないかと思えるぐらい覗きまくっている。なぜそれほどまでに覗きたがるのか、何を知りたくて覗くのか、なぜ覗くという関係性を選択するのか、説明したい欲望もあるのだけどとても面倒そうだ。ただ、人間が覗きが好きな生物だというのはかなり確かだ。

覗きとはどこまで行っても覗きだ。公園のカップルが性行為に及ぶところを覗くのも、アナウンサーが戦地に赴いて弾幕の中でレポートするのを覗くのも、覗きであると言う意味では何の違いも見出すことは出来ない。問題なのはその行為が覗きであるかどうかであって、覗かれる対象が何であるかはどうでもいいのだ。それはつまり何を覗こうとも、その行為が覗きである以上、得られるものも覗き的世界の価値観のうちからは出ることが出来ないであろうという、俺が今日言ってみたかったことであり、もちろんそれが言いたかった俺はその通りだと何度も頷くのだ。

しかし、なにも俺は覗きを否定しようとしてこんなことを書いているわけではなく、面倒だというガキのような理由で考えようとしなかった覗きという現象が与えてくれるフィールドで、覗きそのものに違和感をもって向き合うことで何かを掘り出したいと思っているらしい。なんて厄介なことを欲しているのか、とアホらしくなるのだが、アホらしいと思っている分、不誠実なのも確かなわけで、しかしその主題はアホらしいと言い切ってしまうにはあまりにも重過ぎるということに混乱しているのである。今日は割りと論理的な本を読んだので、その影響が出ているようだ。ほんと、簡単に覗いたものに影響されるもんだから始末が悪いったらありゃしない。

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