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20041020: 尖った痛みとの交換物

尖った痛みと交換に得られるものなんてたかが知れている。

と、自分で書いた文章の意味を二度ほど読み直して想像すると、そこには凄いことが書かれているような気がしてくる。他人事だ。上手く言えたと思えることなんて、酔っ払いの思いつきと一緒でその程度にしておくのが賢明だと思う。上手く言えることなんて何の意味も無い。実際飲んでるし。

緩くて不安を含んだ鬱陶しいヌメヌメした膜を突き破るためには何の役にも立たない。コンドームよりも始末が悪い膜に包まれてしか存在しない関係。そういえば俺が中学のころにコンドームのことをムードンコというのが流行っていた。では、この始末の悪い膜の事をムードンコと命名してもいいわけだ。社会とはムードンコによって結び付けられた遊戯である。この定義は、少なくとも尖った痛みと交換されたなにかよりは実があるように思える。

ユーモアを知らない。人を笑わせたことはあるはずだけど、それは俺が笑わせのではなくて、俺が可笑しかっただけかもしれない。さらに言えば、それは同じことかもしれない。怖いなぁ、怖いよ。結局、問題にされるのは「確信しているように見えるかどうか」もしくは「確信を確信しているかどうか」であって、実体はどこにも無い。だから尖った痛みとの交換物なんて曖昧な生理的表現に訴えかけようとするんだ。それって、狼が来たよ!ってのと同じじゃん。

卵焼きが焼けました。
カップにお湯を注いで3分間経ちました。

それだけじゃダメなのかな。
ダメなんだろうな。

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