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20041215: 「ハウルの動く城」

「ハウルの動く城」を観てきた。正直、作品としては破綻していると思ったけど、あれだけエンターテインメントの世界と文法で渡り合ってきた人が、これだけ駄目な作り方をするしかないようなモチーフに向き合うという事実には希望が持てた。皮肉を言っているようにしか読めないと思うけど、皮肉のつもりじゃない。

話がまったく展開できていない。カットのつなぎが唐突過ぎる。その結果、観客はほっぽり出される。でも、それだっていいじゃないかと思う。ここで、「これをステップにして次の段階にいけるなら」てなことを言うのが批評家的な立場なわけだけど、そうも思えない。むしろこれで終わりでもいいじゃないかと思う。そういう意味ではすごく正直だ。実際のところはどうだか分からない。今までの作品とはかかわっている比重が違うのかもしれないし。しかし、作品なんてそんなものでもあるのだ。観客が作家に対して優しくある必要なんてないわけだから、たとえば同じことをもう一度やったらかなり致命的だろう。それでもいいのだ。

とんちんかんな感想だと思うかもしれないけど、なぜかとても私小説的な印象を受けた。これまでの作品の中では外側に置かれていた「権力」とか「女」とか「死」とかが内側に持ってこられたような印象だ。そういうのは今までやってきたような文法では表現できないだろうと思う。でもそれを通してしまっている。「もののけ姫」のような頭でっかちな破綻ではない。弱さが前面に出ている。その弱さは時代が要請した弱さだ。そこまで正直にしなくてもいいのにと思う正直さ。そういうのって嫌いじゃない。

この作品にはカタルシスが無い。「なんかなぁ」とブツブツいいながら劇場を出た人がたくさんいるだろう。映画を見る前に市役所に寄ったのだけど、市役所の廊下には無名の日曜画家の絵がたくさん飾られていた。どれも弱くて上手そうに見える安易な技法に支えられた絵だったけど、そんなところにだって微かな光は見えたりする。そしてその光は美しい。ただ弱いだけで。濁っているだけで。つまり、フィルターがかかっているのだ。フィルターを取り除くことが作家のすべきことだとすれば、この映画は結果的にはあえてフィルターをかけたような映画だ。これまで取り払ってきたようなフィルターを無意味にするような方に向いている。そりゃあ上手く行くわけ無いだろう。でもそんなことだって必要なんだよ。生きてるわけだしね。

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