←プロット 部分的認識と全体的認識→

20050330: 認識の自由

世界は平らで果てがあり、海の終わるところではゾウさんとカメさんが大地を支えている。ってのが昔の人の想像した世界観であるけど、ああいうのも一人の人間にとってはあながち嘘っぱちではないと考えている。太陽が地球の周りを回っていたとしたって何の問題もない。別に現代科学が定義しつつある世界の構造を否定しようとかそういうことではなく、個人の認識として、つまり表現として、自分の内側から世界を定義するような態度というのは非常に重要だと思うのだ。たとえばそれがなかったらスポーツ選手は強くなることが出来ないだろうし、陶芸家は自分の身体をコントロールすることが出来ないだろう。主観が一番だとか、思い込みバンザイとか、そういう単純なことではなく、ある手応えと、意思を伴った規律の上で切り開かれる認識は、たとえそれが非科学的であったとしても、他には代えることの出来ない、個人にとっての唯一の認識になるはずなのだ。それは知恵と呼ばれたり、直感と呼ばれたり、妄想と呼ばれたりする。世界は平らであるという知恵があってもいい。月が穴である(by Timrick)という直感があってもいい。精神には涯があるという妄想があってもいい。認識の自由からこぼれ落ちているものはとんでもなく沢山あるように思えてならないのだ。

Trackbacks(0)

Trackbacks URL: /933

Comment

Powered by Movable Type

Profile

Archive

Feeds