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20050414: ゲームの設定がどんどん病んだ世界になっていってしまう

最初の予定では健全ぽく見えるエロス的世界と、不健全ぽく見えるタナトス的世界の対比を考えていたんだけど、そのエロス的世界の方がタナトス的世界の方に吸い込まれつつあるようだ。しかし元々そのエロス的世界の方も消費社会の単純化された姿として考えていたわけで、現代における消費社会の病み方を思えば仕方ないことなのかもしれない。

このところ身体改造系のサイト(腕切っちゃったり、ちんちんを縦割りにしちゃったり、磔になったり)とか変態系エロサイト(ウンコ食ったり、馬とやったり、頭入れようとしたり)を割りとよく観てるんだけど、あくまで本人が進んでやっていると仮定した場合にはそういうことって「正常」な欲求としてあるんだと思う。たとえばインフルエンザにかかれば高熱が出るのは「正常」な体の反応だ。日常ではないにしろ、その熱は体が戦っている証拠だ。同じように性的虐待を受けた女の人が対人恐怖症になったり、逆に風俗にいったりするのも「正常」な反応だ。プライドの高い親に育てられた子供が分裂症になりやすかったり、母親の愛が充分に得られなくて超スケベになってしまったり、根本的な生きるすべを学ぶ機会をまったく持てずに(って今の時代誰だってそうだけど)育った子供が社会に適応できずに心を病んだり、そういうこと全部が「正常」な反応であり戦いとしてあるんだと思う。もちろんこの言い方で言うと犯罪でさえ「正常」な反応であり戦いであるといえる。でも実際そうなんだと思う。

ただ、「正常」なんだからそれでいいじゃないかとはこれっぽっちも思わない。なぜならそれは戦いだから。まどろんだり、意思を失ったり、依存したりしたら負けだ。その状態は「正常」じゃない。それこそが異常な状態だ。(いや、休むのはとっても大事だけどさ)

だけどこんな言葉はほんとに苦しいときにはまったく届かないし意味がない。ほんとに苦しいときに頼りになるのは自分の呼吸だけだと思う。その呼吸が意思なんだと思う。原因が外側にあろうとも戦わなきゃいけないのは自分だし。

話がずれちゃったけど、俺にとってのエロス的世界はそういうことを前提にした「戦いの準備をするフィールド」になる必要があるかと思ったのだった。つまり理想的でエコロジカルな快楽の園ではなく、タナトス的なバトルを支えるためのオアシス(捻じ曲がってはいるけど)である必要があると。既に誰もが改造人間である現代においてはそれぐらいが丁度いい。

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