←10個の星 あくびさんへの返信:デジタルグラフィックスを巡って→

20050509: 時間の外側で生きないと

時間の外側で生きないとダメなんだと思う。ファーストフードとかスローフードとかも、遅かろうが早かろうが時間を基準にしている時点でどっちも一緒だって気がする。

自分でも似たような事をいったことはあるけど、たとえば旨い米を作っている農家の人が、そのための努力も精一杯していて、自分の人生でせいぜいあと40回ぐらいしか米が作れないんだから、一回一回を大事にしたいんです、とかいうと、とっても美しい話に聞こえるし、その真剣な気持ちも伝わってきたりもするんだけど、それじゃダメなんじゃないかとどっかで思っている自分が否定できないのだ。それは効率を求めて農薬や最新機械を投入することと、作り手の精神としては同じ構造の同じ価値体系に立った思考だと感じられてしまう。

ただ、そういうシフトが無意味だと思っているわけではない。それはおそらく必要なことなんだと思う。社会とか経済の成熟のためには。でも、社会の成熟を待って生きているわけにはいかないので、もっと強引なリアルが欲しくなるんだよ。それがないとやってらんない。時間を基準にした思考の外側で生きていたい。もっと言ってしまえば、時間を測ることを可能にする言語の手前を生きる基準にしておきたい。流通する言葉ではなく、生まれる言葉を大事にするべきだ。それが生み出せる外側としての時間は測ることが出来ない時間であるはずだ。

Trackbacks(0)

Trackbacks URL: /958

Comment

Powered by Movable Type

Profile

Archive

Feeds