誰かが作った作品に対して、レベルが高いとか低いとかって評価はよく見ることが出来るし、自分でもそういう言い方はよくしているんだけど、この場合の「レベル」ってのはもの凄く曖昧に使われていると思う。
例えば社会的に流通しうるクオリティを保っている、という意味でのレベルであるかもしれないし、その人の人生における通過地点としてこの上なく真摯に取り組んでいることが感じられる、という意味でのレベルかもしれないし、この人が属しているコミュニティの中ではかなり優れているんじゃないの、という意味でのレベルかもしれないわけで(そのほかにも沢山あるだろう)、それを明確にして言うことはしばしばはばかられたりもすることもあったりなんかして、ますますそういう評価が曖昧にまかり通っていく。
それって言う方にとっても言われる方にとっても不幸だと思う。こういうことはきっちり言うべきなのだ。それは「評価を下す」という言い方のニュアンスが感じさせる絶対的な第三者(ほとんどの人はここで、会社や学校や、先生や上司を連想するのではないかと思うのだけど)の発言としてではなく、対等な一人の人間の発言として流通するべきなのだ。もちろん、対等な一人の人間の発言であるにしろ、そのひとの社会的影響力や、真摯さによってその発言の重みは変化する。それは当たり前だ。誰もが対等であるわけではない。そういう正しい不平等が足りないと思うのだ。
正しい不平等のためには立場を明確にすることが必要だ。評価は正しく不平等でなければならない。作る人間も評価する人間も孤独な場所から発言しなくてはならない。


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