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20050706: 無名への欲望

寝る前に酔っ払いながら、無名への欲望について考えていた。孤独への欲望と言うより、無名への欲望と言った方がしっくりくる。たぶん具体的な方法論をより想像しやすいからだと思う。

無名への欲望と言ったら、一番分かりやすいのはフェチな方々だ。改造フェチ、ラバーフェチ、タイツフェチ。これらは見た目とベクトルが一致している。でもそうじゃない普通の人だって無名への欲望に支配されていると思う。美味しいものを食べることや、気持ちの良いセックスをすることや、面白いゲームをすることや、夢中になってスポーツをすることなんかは、全て無名への欲望によって支えられているのだ。

快楽は人が無名である場所に導く。もしくは無名であることこそが快楽である。

でも無名であるということは怖いことでもある。準備のない人にとっては残酷この上ない経験をもたらす。強制的に無名な場所に追いやられる人たちも沢山居るのだ。例えば強姦される。障害を持って生まれてくる。病気になる。戦争に行かされる。虐待される。学校、会社、病院、家庭、戦争、これらは、望まずに無名な場所へ追いやるための装置としても機能している。意思を欠いた経験は苦痛以外の何ものでもなくなる。ただし、それを苦痛で終わらせるかどうかは本人次第だ。なぜなら生物はもともと無名なものとして存在していると思えるからだ。

ところでジェラシーと言うものは自分よりも無名である人に対して向けられるものなんじゃないだろうか。少なくとも自分の場合はそうだ。世の中ではジェラシーを糧とした作品が作られまくっているし、自分だってそういう傾向はあったと思うけど、ジェラシーなんかに振り回されている暇はねぇなと最近思う。人はもっと自分から無名への冒険をするべきだし、望まずにそういう場所へ追いやられた人は、よりよく戦うべきなんだ。

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