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20050912: マップ描きに明け暮れている

water2.jpgゲームのためのマップ描きに明け暮れている。といってもまだ素材作りの段階で実際に使用するマップは一枚も出来ていない。

自分がどれぐらいのクオリティでマップを仕上げたいのか。どんな光で、どんなディテールでそこにあるのか。そういうことを試行錯誤しながら一つ一つ決めていく。たとえば草のテクスチャが上手く行くとそれまでいいと思えていた地面のテクスチャが良くなくなる。地面と草が上手く行くと樹が上手いこと描けなくなる。こういうことの繰り返し。これらの問題は俺が最終的なビジョンをしっかりと掴んでいないから起きる。草だけをハイコントラストのカリカリのディテールで仕上げたところで、その上に似たような樹が自然に生えるわけが無い。空間と光が掴めていないのだ。でもこの果てしない作業を繰り返していれば多少は学習もするもんだ。ちょっとづつ自分が居る場所が見えてくる。

こういう作業ではまりすぎると先に進めなくなる。よくある罠だ。だけどもうちょっと詰めないと。このわがままが許されることって凄く幸せだ。

04:42
樹や草や地面など一つ一つはかなりコントロールできるようになってきたんだけど、それぞれのバランスがまだ取れていない。この問題はほとんどクォータービューの視点によるものだ。たとえば一面に敷き詰められた草原に生える樹木。牧草地みたいな草原や芝生の草原に樹を生やすのは簡単だ。色のコントラストも明度のコントラストも簡単に作れる。ところが立体的で多様な植物が生えた草原に生やそうとすると、とたんに難しくなる。

これがヨコからの視点だったら、空気遠近法や空間の構成でいくらでも回避する技はあるんだけど、クォータービューだとそうは行かないのだ。毎日樹や草を見まくっているんだけど、まだつかめない。早くしないと葉っぱが落ちちゃうよ。

07:15
ゲーム画面をデザインしたり描いたりしていつも思うのは、「絵になりにくい」ところをいかに無くすかって事だ。スクロールしない絵だったり、量産を前提としない世界なら、いくらでも「絵になる」画面を作ることが出来る。でもゲームはそんなに甘くない。もっと細やかに丁寧にバランスをとってあげないと大雑把で不明確なところがどうしても出てきてしまう。なんとかしてそれを回避したいんだけど。

こういうのって映画や漫画にも言える気がするな。

07:55
スクロールするってことは、あらゆる場所に奥行きを無視して焦点があっているということだ。それはとても不自然なことなんだけど、そういう画面にはとても惹かれるし、絵ってそもそもそういうものなんじゃないかとも思っている。「記号的」で「人工的」で「装飾的」。ただ、これまでに開発された絵の技法に今やろうとしていることが当てはまらないだけで、絵という現実の解釈の仕方には背いていないやり方のはずだ。写真ではこういうのをマルチフォーカスといったりするけど、ちょっとしっくりこない。もうちょっと拡大してフラットフォーカスとでも呼びたい気持ち。
08:28
フラットフォーカスってエロくない?
08:37
ボッシュやブリューゲルはけっこういい線行ってると思うんだけど、やっぱりかなり都合のいい空間を構成している。これは別に彼らの作品の質の問題ではなくて、時代のリアリティの問題だと思う。俺が欲しいものはそこにはないけど、その時代においては充分にリアルだったんだろうなってことは感じられる。同様にペルシャのミニアチュールとか源氏物語絵巻とか宗達の屏風とかもフラットフォーカスだ。今ここに上げた作品はどれも大好きで沢山喜びを貰ったものだ。でも欲しいものはそこにはないし、それで当然だと思う。

過激じゃなくていい。過激さは邪魔だ。
重要なのは敏感であることだ。

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