うろついているだけで楽しいゲームにしたい、これはガラージュを作っていたときにも思っていたことだ。ガラージュは言語的なモチーフもそれなりにこめられているけど、基本的には「そこにいる」ということが感じられるように世界があって、それをプレイヤーに感じさせることが出来ればゲームとして成立すると信じていた。
自分にとってリアルに感じられる世界があり、それは一方向の「物語」としてではなく、時間を含んだ空間としてそこにある。そのリアリティを表現できればそれはゲームとして成立する…。これは主に模型やジオラマから学んだ感覚だ。この感覚は社会的には一般的ではないかもしれないけど。例えば子供が一人ぼっちで下校後の散歩をしていたりするときや、会社や学校を休んで公園のベンチに座っていたりする時ににふと実感するようなものであるという意味では特別なものでもなんでもなく、それが「詩的」であるがゆえに流通を困難にしているだけのきわめて一般的な感覚であると思っている。「世界」は物語的であるだけが魅力になるようには出来ていないし、もっと多様な空間を含んだ進化と選択によってそこにある。
物語が表現する孤独は一面的すぎると思う。孤独はもっと自由で多様なものだ。そして孤独の無い世界はなんて退屈なことだろう。うろつくだけで楽しいゲームは孤独を再認識させるゲームであると思う。その自由さ。その風通しの良さ。その喜び。その厳しさ。表現物が感じさせる感覚なんてものは所詮予感に過ぎないとは思うけど、それでいいんだ。その予感こそを感じさせたい。
ステータス、アイテムバリエーション、生物の多様性、説得力があり表現力に富んだマップ、心地よいインターフェース、ストレスにならない操作性、媚びてないのにリアルなキャラクター、そういったものをただ一箇所に向かわせたい。


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