←ひさびさに うろついているだけで楽しいゲーム→

20050921: うろつきゲーム:その2

迷子の状態ってのは通常のゲーム的にはADVやRPGであればハマリの状態であり=クソゲーなわけですが、それがクソゲーにならないためには、

1:どれも必須イベントでなく、
2:迷子になってもゲームの基本システムが生きている状態にあり、
3:どこに進んでいるのか自覚できなくても基本システムがプレイヤーの意欲を持続させる力を持ち、なおかつその持続がシステムを超えた価値に結びつくように世界観が設定されている。

というようなことが最低でも必要なのではないかと思っています。特に3番ですね。口で言うのは簡単ですが…

また、ゲームの楽しさを支えるのは基本的には「達成感」だと思うんですが、今のゲームは達成感に頼りすぎていると思う。達成感を積み重ねまくって幸せになるという価値観。その上、その「幸せ」は他人との比較における幸せでしかなかったり、他人の評価が得られるという幸せでしかなかったり、まさに現代教育を丸写しにしたかのような価値観がたまらなくイヤだし、それにハマる自分にも腹が立つ。

で、孤独を達成するという価値は楽しいのかってことになるわけですよ。俺的にはこれ以上楽しいことなんかないだろって気がする。ただ、ここで言うところの孤独というのは、単に一人ぼっちであるとか、どれだけ寂しいかとか、そういうことじゃない。この前テレビを見ていてインディアンの歌が紹介されていたんですが、その歌はこういうわけですよ。「俺は一人でどこまでも歩いてきた、あらゆる場所を果てまでも歩いてきた、そしてこの世界には友達でないものはひとつも見つけられなかった(超意訳)」いい歌だなと。

絵でも何でもそうなんだけど、表現っていうのは基本的に単純化によって成り立つものだってのはある。単純化するからこそ人に伝えることが出来る。これは例えば名前をつけるってことを考えてみれば納得できる。名前をつけるってことは名前にあらわされていないものを切り捨てることなんだけど、名前をつけることによって初めて他人にその存在を知らせることが出来て、なおかつ名前に含めることが出来なかった切り捨てられたものを、伝えられた他人が知るきっかけにもなり得る。だから優れた名前というのはそのきっかけを含むように単純化された名前だということも出来る。どのように切り捨てるか。それが重要。

たとえばマリオやゼルダなんかだと、現在の技術が実現できるリアリズムという観点から見れば随分と単純化した世界を構築しているわけだけど、その分TOKIなんちゃらが言う様に想像力をプレイヤーに要求し、かつ、その想像力を裏切らないように作りこみをしていく。これは宮本茂本人が言っていたことだけど、「あのブロックの上は歩けるんだろうか、とか、ここでブーメランを使ったらスイッチが入れられるんじゃないだろうか、みたいなプレイヤーの思いを出来るだけすくい取ってあげたい(超意訳)」てなことを言っていて、それはやはり単純化したからこそ提供できる価値だなと思うわけです。ゲームじゃないと出来ないこと、それをとても大事にして作っているし、これは「きっかけになり得る単純化」という観点から見るとかなり優れている。

ここでリアルってことに二つの側面があるのがわかる。一つはビデオゲームが登場する以前の映画に代表されるようなリアル。見た目が本物のようで、ストーリーに隙が無く、あたかもそれを見た人が「自分が経験したんじゃないか」と錯覚させるようなリアル。もう一つはゲームが提供するリアルで、これはプレイヤーがポジティブに想像力を働かせたときにしか価値を発揮しないけど、それが発揮できるように作られていれば見た目やストーリーに関係なく「自分が経験できる」リアル。たとえうろつきゲ?ムであれ、やはり後者を目指したい。とするとTOKIなんちゃらが言うように視覚的リアリティはある程度犠牲にしつつもゲーム的リアリティを目指すってことになるわけだけど、リアルなグラフィックもそれがゲームシステム的に過剰でなく、むしろ必要であるようにデザインすることも可能なんじゃないかと思っているところがある。しかも世界の単純化を維持した上で。

あくまでも例えだけど、緻密に描かれた草原があったとする。そこには何十種類もの草が生えていてその中から自分に役立つ草を見つけ出す。プレイヤーは腹が減っていてどんどん疲れていく。その草が見つけられないとゲームオーバー。達成されるのは自分が生き延びたということだけ。ルールは簡単で、グラフィックはリアル、しかもジオラマ的。ここに「道を覚える、もしくは探す」という要素や「障害物としての動物」なんかを加えていけばとりあえずゲームとしては成立するんじゃないかと。

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ついでに書いておくと、今作ろうと思っているゲームの基本システムは「追いかけゲー」です。普通のゲームのほとんどは「追われゲー」です。パズルでもアクションでもRPGでもかなりのものは「追われゲー」を基本システムとしている。でも「追われゲー」だと「うろつき感」を表現するのは難しいんです。やっぱり「追いかけゲー」じゃないと。草を見つけるってのも追いかけゲームとして考えることが出来るし、あと既存のゲームでこれに近いのは釣りゲームだろうな。自分から求めないと何も起きないって意味で釣りゲームは「追いかけゲー」だ。

それと今回、プログラム上の技術的限界(つまり俺の勉強不足)で、やりたいことと実現できることの間にかなりのギャップが生まれるのが目に見えている。そして、それでも今出来ることから始めたいってのが基本スタンスになっている。

例えば雨を降らせたいなぁとか、雨が降れば体力の消耗は激しくなるだろうなぁとか、水に入れば歩くスピードは遅くなるようなぁとか、いつまでも走り続けることは出来ないよなぁとか、そういうゲーム性を盛り立てることが出来そうで、なおかつ操作性やルールのシンプルさをスポイルしない要素は出来る限り入れたいんだけど、どれも無理。

だからと言って、雨が降らせられないと表現できないってわけじゃないんでその辺の一番シンプルな状態をしっかりと掴んでおく必要がある。

あと既に基本システムとして必要なのにスペック的な問題で障害になりそうなことも浮上し始めている。例えばマップの広さ。最新ゲームの3Dマップみたいに怖ろしく広いマップを読み込めれば何の問題も無いんだけど、そうはいかない。現在約3000Pixel四方のマップでテストしているけど(ゲームウィンドウは800×600)追いかけゲームとしてはどうも狭い。予想としては5000?6000Pixelは必要な気がするんだけど、この大きさだと Photoshopで描くにも辛いし、なによりWEBゲームとしてやるには重過ぎるし、それだけじゃなくプログラムの記述が膨れ上がりすぎる怖れもある。とはいいつつ、実際にパブリッシュされるはずの時期を考えると、めいっぱい背伸びもしておかないとならないし…

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