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20070201: 視覚のリアリティ

視覚のリアリティについてずっと考えている。リアリティとはもちろん「認識」を経た上での表現であるわけだけど、ここで言わんとしているリアリティは、何が表現されているかとか(モチーフ)、どのように歪んでいるかとか(デフォルメ)、どんな動きをするかとか(スピード)、というような意味でのリアリティではなく、単純に空間の認識としてのリアリティだ。

つまり、ある空間がどのような条件にあるときに最高の違和感をもってそこに存在し得るのか。

主な要素は三つだ。光、被写界深度、奥行きの増幅。

光はその場所に属した光であるように隔絶されていなければならない。夕日が、その水平な光で、普段は黒ずんだ樹の幹を鮮やかなオレンジに照らし出すとき、奇跡のような祝祭が催されるように。

被写界深度には二つの方向性がある。全てに焦点があっているか、極わずかにしか焦点が合わないか。ボケとピント、そして彩度。この要素は距離感を狂わせる。大事なのは狂わせるということだ。距離感の狂った世界を前にした人間は、もう一度、世界を計り直す必要性迫られる。それは手を前に出したくなるということだ。これを絶対的な遠さと言い換えてもいいかもしれない。

奥行きの増幅は被写界深度に従うが、独自な拡張性も持ち合わせている。これはマジックだ。鏡と圧縮的遠近法がそれを実現するだろう。

ここにもうひとつの要素として視差を加えてもいいのかもしれないが、視差は被写界深度に収束されるように思う。

昔から、ずっと同じリアリティを追い求めている気がする。絵は、もちろんこれらの要素を全て含んだ上で、一つのスタイルを確立した表現形式であると思うし、絵には絵に対する自分の欲望がしっかりとあるんだけど、立体としての空間の誘惑を退けることが出来ないのだ。見たいものを見たい。それさえも指先からすり抜けていくのは判っていても。

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