←solitude"展いよいよ始まります! やわらかいもの→

20070410: 絵の機能

メディアとしての絵ってとても弱いものだと思っている。不完全だといってもいい。そしてその弱さや不完全さが気に入らなくてしょうがない。ずっとそうだった。

絵が描けるなら漫画を描けと思う。ゲームを作れと思う。アニメを作れと思う。違う観点から言えば、設計図を描けと思う。額縁を作れと思う。教会を建てろと思う。

素晴らしい絵はもちろん素晴らしい。だから素晴らしい絵を描くのだって素晴らしい。それでもなお、絵は不完全だ。

これは機能の話しだ。機能とは使い道だ。包丁があれば魚や哺乳類や植物を捌ける。バイクがあれば300キロでぶっ飛ばして嘘みたいな時間で遠いところに行きつつ、とんでもない緊張感と細胞が沸き立つのを経験できる。ポットがあればお湯が冷めないし、カップラーメンがあれば三分待つだけで胃袋を満たすことが出来る。それが機能だ。

じゃ、絵の機能ってなんだ。
家に絵があったら幸せか?なにがしたくて絵を手に入れるんだ?画集は本だ。あれは絵のフリをしているけど絵じゃない。出来損ないの漫画みたいなもんだ。ここで問題にしているのはたった一枚の絵がもたらす機能だ。だいたいが絵を平面としてみて、その上で絵を楽しむなんてのはごく限られた人がすればいいことであって、そんなものが一般化しないことを嘆いてみたところでそれこそオナニー以外の何者でもない。機能を伴わない製品は滅びる。でもこんなこと言っているけど、絵が嫌いなわけじゃない。俺は絵画的言語を愛しているし、絵画的言語によってコミュニケーションをとるのが好きだし、そのコミュニケーションによって救われたり喜んだ経験がいくらでもあるし、絵画的言語を通してこの人が存在してくれていたことがホントに嬉しいと思ったこともあるし、それらはもちろん絵の機能なわけだ。ただしこの絵画的言語は絵の機能としては不十分だ。なぜならそれは器を伴わないからだ。

美術館やギャラリーが嫌いだ。あんなの器でもなんでもない。行列を作って一体なにをしにいくんだ、あんなところ。絵画的言語によるコミュニケーションをしにいくのか?ありえない。もっとも相応しくない場所じゃないか。要するにショップでしょ?美術デパート。もっとショップとしての誇りと気概をもってプロデュースするべきだ。将来コンビニでエロ本コーナーの隣にサクバのプリントが並ぶようになるのが夢なんです。でもそうはならない。コストパフォーマンスが悪いからエロ本に負けるに決まってる。だからこそ機能を形にする必要がある。

次の個展、あそこでやるのは三回目になるけど、今までも絵の機能を(泣きたくなるぐらい不十分ではあるにしても)絵の中だけに求めるようにではなく展示をしてきたつもり。それがどれぐらい効果があったのかはわからないけど、今度も何かしらはしないと意味が無い。一枚の絵の完成度より、空間や経験の強度が欲しい。そうじゃないと絵が描けない。

Trackbacks(0)

Trackbacks URL: /1046

Comment

Powered by Movable Type

Profile

Archive

Feeds