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20080719: 記号化とインフレ

スーパーサイヤ人1、2、3という変化に誰もが引きずり込まれる。うんざりしつつも(もちろんドラゴンボールの話)。どうせならスリーまでいってみたいと思ってしまうのだ。

漫画を成立させるのはグラフィックの記号化だ。ゲームを成立させるのはグラフィックの記号化だ。表された画像が「これは怒りによって目覚め、深層に眠っていた力が引き出された男の子です」として単純化されれば、それは画像を超えて記号となる。そして記号が加速させるものがある。それは物凄く単純化された価値体系だ。それは身体的感覚を無視した、あるいは経験を飛び越えた「物語」としての時間軸だ。

そこで起きることはリアリティのインフレーションだ。

グラフィックの記号化を否定するつもりはこれっぽちもない。ただ、記号化はそのような誘惑と常に結びついている。インフレには気をつけないといけない。なぜなら、作る側においても受け入れる側においても、例えそれが市場価値に結びつこうとも祝祭的にしか機能しないからだ。そして、祝祭はある覚悟の上で成されなければ何の意味もないと思うのだ。覚悟のない祝祭は、それに参加した人間をズタズタにし得る。人が自ら望むのに翻弄にしか繋がらない暴力。

03:52
何を読者に求めるのか、何をプレイヤーに求めるのか、何をオーディエンスに求めるのか。

そして

何を知りたかったのか、何を経験したかったのか、何を見たかったのか。

例えばディテールの意味は説得力だけではない。それは表現における時間の流れをコントロールすることも出来る。

例えば構造の合理性は説得力だけではない。それは現実の経験を変化させることが出来る。

外側にあるんじゃないかと思い込んでいる了解に依存するのは間違っている。

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