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20080820: 保護と隔離

かつて他人に保護されたい自分が居た(正確にはいまだに居る)。その自分は、他人に保護してもらうためにあらゆる策略をめぐらした。泣き喚けば保護された。病気になれば保護された。保護する人が羨むものを手に入れれば保護された。だから僕は泣き喚いた。病気になった。良い点数を取った。お金を手に入れた。仕事を始めた。気がつくと自分を保護してくれる人は保護されたい人だけになっていた(って言い過ぎだろ)。

保護されるということは隔離されるということだ。隔離されるということは人質になるということだ。何の人質になるかといえば、親とか、恋人とか、友達とか、隣近所とか、小説家とか、漫画家とか、評論家とか、アーティストとか、思想家とか、宗教家とか、音楽とか、絵とか、物語とか、映画とか、建築とか、ケーキとか、チョコレートとか、ラーメンとか、タバコとか、酒とか、テレビとか、学校とか、企業とか、国家とか、平等とか、平和とか、真理とか、正しさとか、善とか、悪とか、金とか、株式とか、市場原理とか、ビジネスモデルとか、掃除機とか、洗濯機とか、車とか、自転車とか、セックスとか、スポーツとか、オナニーとか、健康とか、美しさとか、優しさとか、楽園とか、破壊とか、薬とか、宅急便とか、自動販売機とか、郵便局とか、銀行とか、クレジットカードとか、SUICAとか、PASMOとか、スーパーとか、コンビニとか、ネットとか、ゲームとかだ。

どんだけ並べても足りなさ過ぎる。

そして人はある時期、人質になることを普通に生物的に望むのだ。だから好きなだけ人質になればいい。望むならなればいいのだ。でもそれはある時期であって永遠ではない。

何から保護され、何から隔離されていたのか、それを知るチャンスはいくらでも転がっているのに、チャンスは奪われ続けている。そしてチャンスが奪われていることを他人や外側のせいにしているうちは、何も起きない。チャンスは奪われているわけではなく、逃しているだけなのだ。

可能性は閉じていない。閉じることは出来ない。
しかし隔離病棟への欲望はとんでもなく強く根付いている。

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