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20080826: 描画時間について

080825-1.jpg080825-2.jpg絵を描くのにかかる時間なんてどうでもいい事だ。10分で仕上げようが、何年かかろうがどうでもいい事だ。逆にどれだけの時間が掛かっているかを気にしながら良い絵なんて描けない。良い絵が描けている時は、時間は流れるように流れるだけだ。良い絵は時間の外側で描かれる。

という前提の上での描画時間だ。二つ前のエントリーでも少し触れているが、速く描けるようになりたいのである。絵をツールにしてしまいたいとさえ思っている身としてはスピードは重要なのである。スピードが遅いために実現できないことは沢山ある。そしてそれらはスピードが速ければ実現できるだろう。例えば漫画、映画、ゲームなんかだ。あるいは一枚絵だとしても、スピードによって描かれる絵は変わるはずだ。しかし遅いことが悪いことだとはこれっぽっちも思わない。それはむしろ資質の問題だ。速く描けないなら、速く描けないなりのやり方を見出せばいいだけのことだ。

単純な比較の話で言えば、自分の描画スピードは遅いほうではないと思う。でも無駄が多いのも事実だ。理由は大体わかっている。一つにはわかりきったことを描こうとしないからだ。わけのわからないものから始める。手探りで形を出していく。手探りで色を探していく。もちろんこういう描き方でもスピードが出せる描き方もある。しかしこれをリアリズムに近い形でやろうとすると物凄く時間が掛かるのだ。それは単純に描かなければいけないディテールが増えるからでもあるし、描こうとする対象自体をデザインし直すような作業も含まれてくるからだ。ここでこだわりだすとキリの無い泥沼がようこそとお待ちかねなわけだ、しかし作りたいものが、誰かに撮られた写真や描かれた作品でない以上、これを止める訳にはいかない。だから出来ることといえば、増えたディテールの処理を最終結果に照らし合わせることで、最小限の手間で実現することぐらいだろう。要は3Dレンダリングで隠れたポリゴンのレンダリングをパスするようなものだ。とはいえ、対象のリデザインがエキサイティングなものだったりすると、これも難しくなったりするんだけどね。

もう一つの理由は、個人的に、達者な線や、論理的な認識を意識的に避けてきたというのも大きい。達者な線や論理的な認識は、確かにスピードアップには物凄く有効だ。見栄えもいい。だけどこれにハマってしまうと肝心なところを飛び越えてしまうという罠が待っている。見栄えの良さに酔ってしまうのだ。これは頂けない。でもこれをコントロールして味方にできるならば、それは悪くないかもしれないと最近思い始めた。大昔の日本画(とりあえず江戸時代以前)の人とかはとても良くコントロールしてる。あんだけ上手いのに。カッコつけてる内はろくなもんじゃないって事だな。

目標描画時間三分の一。いや、せめて半分。

画像は自転車のブレーキのためのアイデアスケッチ。
描画時間各30分程。電車の中で描いた。思考ツールとしての絵。

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