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20080910: ひとり

おそらく、より少人数で何事かが成し遂げられることには価値がある。少なければ少ないほどその価値は高い。そして例えそれがひとりになったとしても、その何事かはその人ひとりによって実現されるわけではない。そこまで行かないと、ひとりの意味と影響を与える他者の関係は単純化できない。

インフラは幻想だ。なぜ蛇口をひねれば水が出るのか。なぜウンコは水に流されるのか。なぜスーパーには牛のベロが売っているのか。なぜボタンを押せば電話が出来るのか。なぜケーブルをつなげればネットに繋がるのか。なぜガソリンスタンドにはガソリンがあるのか。そしてなぜ言葉を覚えれば情報を交換することが出来るのか。それらは全て労働という名の、誰かの、そして自分の、死んだ時間の上に成り立っている。それをインフラと称して「”合意”の上の常識」とするのはただの方便に過ぎない。誰が合意したんだ? 全員だ。なぜ合意したんだ?全員が口をつぐむ事だったからだ。合意に至るためには沈黙こそが最も有効なのだ。誰もが仕方ないと思うこと、それがインフラだ、それが常識だ。

つまり、インフラをインフラと、常識を常識と言わせているのは俺だ。
何事かを成すためにひとりになっていない俺だ。この文章を書くためにネットを利用している俺だ。

なのに俺は常識を否定しないのだ。沈黙を否定しないのだ。
インフラも常識も幻想でなんの問題も無い。俺に必要なのはそれが幻想だという認識だけだ。その認識は俺がひとりになるために必要だからだ。

なるべく少ない方が素晴らしいと俺は思う。そういうことをこんな風に表現するのではなく、そういう風に実際にならないと意味が無い。

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