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20081127: 日記:自転車いじり

081127.jpgやっと買い貯めたり、改造していたりした、自転車の部品が組みつけられる準備が出来たので、きのうからずっと自転車をいじっていました。おかげで更新はサボりまくり。何とか走れる状態に漕ぎ付けたので、明日試乗しにいくつもりです。とても楽しみ。完成写真(といってもまだ仮組み状態ですが)は明日アップしよう。

基本的にのめり込みすぎるたちです。オートバイもゲームも、それで結局デザインしたり監督するとこまで行っちゃったりする。自転車も既にヤバい域に達しています。もう性分なので自分ではあきらめてますが、周りはいい迷惑です。知ってます。すみません。

ところで自転車のことを考えていて思ったんですけど、現在のテクノロジーって中庸に対しては全く真剣さが足りないんですよね。自転車で言うと極端な話ママチャリとレーサーしかない。そこでレーサーのスペックを持ったママチャリがあったっていいと思うんだけどそんなものは存在しないわけです。自転車は軽ければ軽いほど楽に走ることが出来るんですが、ママチャリってのは16kgとか18kgぐらいの重さです。ロードレーサーなら市販車でも9kgとか8kgとかで、最も軽い自転車だと4kg以下です。この重さが例えば坂を上るとき、そして加速する時に足の負担として掛かる。18kgの自転車で坂を上るということは、その重さをペダルの回転で持ち上げるということです。つまりロードレーサーで坂を上ることに比べると、10kgの米を積んで登るのと同じぐらいの負担が足に掛かるわけです。この米を降ろせば今まで登れなかったような坂が登れちゃうなんてことも起きる。だからママチャリだって軽いほうがいいに決まっているわけです。で、なぜママチャリが重いままでいいかというと値段ががネックなわけです。ただそれだけ。自転車なんかに10万円とか100万円も出せないと。

しかもこれは自転車だけの話しじゃないわけで、服にもヤカンにもフライパンにも家にも言える。特に家なんてのは極端な話ハイテクテント(これが自転車のレーサーポジション)と伝統とデザイン(機能を限定した上での遊び、もしくは言語的な解釈の押し付け、もしくは極端な単純化、もしくは過剰な複雑化、もしくは新しさの幻想。これもある意味レーサーポジション)しかない。極端が魅力的なのはわかる。冒険はワクワクするし、羨ましがられ憧れられるのは気持ちがいいだろう。とりあえずは。でもそれだけじゃやっていけないところにママチャリや住宅があるわけで、それがクソ重かったり非合理的だったりするのはとっても納得がいかない。なんでもっとシンプルに要求を汲み上げないのか。と思う。

そんなわけで俺の自転車は軽くて気兼ねなくてラクチンで遠くに行ける自転車を目指しています。現在の重量はは8.4kgぐらい。このコンセプトでもお金を使えば6kgを余裕で切れるけど、そこまで無理しなくても充分快適になれるだろうと思っています。タイムトライアルには全く向かないけど、競わないけれども楽だということを追求したらどんな形になるのかを見てみたいのです。

04:12
楽になりたいならエンジンをつければいいんじゃない?っていうのはこれまでの方法論。エンジンをつけるという事は、自分の体にとってどうかということを無視することになってしまう。俺が欲しいのは漕がなくてもいいということではなく、気持ち良く漕げるということなのだ。漕ぎ続けられるということなのだ。そしてエンジンをつけるという事は社会に対する依存を決定的に増大させる事でもある(税金、免許、メンテナンス、法律、出力という暴力、忘れてしまう重量、マジョリティであるという嘘、消費され続ける燃料)。問題なのは素っ裸の身体とマシンのコミュニケーションなのだ。自転車が変われば、おそらく自動車も変わるだろう。ちなみにいわゆるエコには興味がない。そこには嘘しか見えない。

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