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20081206: 変態とか:HENTAI

変態は昆虫の変態ではなく、いわゆる性的な意味を含んだ変態なのだが、実際のところの変態人口というのは、世間に表面化する変態と公言されたりメディアに載る割合に比べれば1000分の1ぐらいしかいないんじゃないかと思っている。いや、もっともっと少ないかも。

変態に憧れる人はとても多い。おそらく、かつて変態を排除しようと思った人と同じぐらいに多い。そしてそれらの憧れる人が変態文化を支えているような見え方さえしているけど、変態なんてそういう意味での文化ではないんだと思う。ほんとの変態の人たちは文化など気にしないし、そんな所には所属していない。変態な人は憧れではなく衝動とそれによる日常の変質の中を生きる人だ。つまりほとんど犯罪なのだ。

変態を賛美したり、変態への憧れを形にするような作品が好きじゃない。そんなものからは何も感じない。重要なのは当人の欲望の現在のリアリティであって形式じゃない。変態イベントとかの空々しさとかウンザリするし、変態作品の甘さとか見たくない。

ただ、変態的手法がこれほど手に入り易くなった時代は無く、その変態的手法によって救われた人達が沢山いるんだろうということは想像できる。高校の文化祭がフェティッシュイベントになり、行き場の無い中学生が手首を切り、成り行きで入ったホテルでウンコを食わされる。そういうことが起きるべきこととして起きているんだろうとは思う。

でもそういうことと、変態にしかなれない人の主体性とは別の話だ。ただ身体を消費するだけじゃ不十分なのだ。

男がオジサンになるってことは、現実との接点が減っていく状態を言うんだなぁ、と昨日思ったんだけど、そしてこれは色気が無くなっていくことなんだなぁと思ったんだけど、変態にあこがれている状態ってのは、まさにこのオジサン状態なわけで、どんだけ体を消費しても、現実の接点はとても少なく見えるわけです。極端な話、死んでしまったところで身体が置いてきぼりになっている。晒されていない。

別に変態を賛美しているわけじゃなく、変態のようにしか生きられない人がいるのと同じように、普通なようにしか生きられない人もいて、どっちでも別に構わないんだけど、ちゃんと現実に晒されて生きているのが良いし、そこに価値観を置いて生きていればなんでもいいじゃんと思うのです。

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