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20081213: 絶望といわれているものと日常

人を変えるように関わることが出来ないことには絶望している
なのに、その変わらない人を愛することは出来る

絶望とは望みが断たれるということであって
それを悲しいことだとは思わないようになった
そのように絶望するのは日々に相応しい
そのような絶望に絶望という名を与えたい
恨みと依存と過去を含んだ絶望は嫌いだ

そして愛し始めることは希望に満ちて容易だ
誰でも気軽に愛し始めることが出来る
それは恋から始まる

だが愛し続けることは困難だ
そのようには名づけたくない依存された絶望によって
欲望が遮断されるからだ

それでも絶望を
単なる関わり方のレッスンとして捉えるならば
愛し続けることは可能性に彩られる

俺とスズメは隔たっている
スズメと隔たっていることを悲しんでどうすんだ
俺はスズメを愛することが出来る

俺とゴキブリは隔たっている
ゴキブリと隔たっていることを怒ってどうすんだ
俺はゴキブリを愛することが出来る

同じように俺と俺の子供も
俺と俺の親も
俺と俺の隣人も
同じように隔たっているのだ

絶望することは必要なのだ
それを悲しむ必要は無いのだ
そこから始まるのだ

つまり
孤独だってことだ
それも
そこから始まるってことだ

果てしなく思える日常といわれているような繰り返しだけが
それを教えてくれる

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