雇用の創出の基盤となるのは多数の欲望だ。しかも潜在的な多数の欲望だ。それまでには雇用に結びつかなかったような業種を、社会的に定着することが出来れば雇用を創出することが出来るんだろう。
かつて人は自動車に夢を持っていた。
今、人は自分の家で自分のペースで自分の目の前にある触ることが出来たり匂ったりする環境の中で持続的なサイクルに包まれながら生きることに夢を持っているらしい。
何が理解できないかといえば、自動車と匂う環境の違いだ。
それは同じように夢だ。
それらは同じように雇用に変換できるように違いが無い。
しかし経済が破綻したのは夢そのものが破綻したからだったのではなかったのか?
同じように夢であるなら
それは繰り返しではないのか?
間違っているのはモチーフではなく夢の定義ではないのか?
つか、夢を見ていれば幸せなのか?
そうなのか?
必要なのは同じ定義の内の次の夢なのか?
次の夢なんて昨日と同じ宙吊りの言い訳じゃないのか?
それでもそこそこの雇用は創出できるんだろう。
それがどんな結果を生もうとも。
しかしそこで感謝の念を抱く人がいっぱいいることも知っている。
沢山の命が生き延びたりもするだろう。
それが中庸の力だ。そのように人間社会は動いていく。文句は無い。これっぽっちも。
それでも理解できないのだ。
つまり、俺が理解したいのは中庸ではない力なのだ。


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