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20081229: 必要なだけの夢

タンブラーとかグーグルリーダーとか利用していると、インターネットも従前の意味での娯楽になったんだなぁ、と思った。

例えばもちろんテレビとの違いはある。スクロールさせないと動かないし、クリックしないと再生されない。でもテレビだってザッピングするためにボタンを押しまくり、その為にコントローラーを手放さないことを思えば、なんの違いも無い。

最小の身体的行為で流れる情報を切り替え、反射神経でコンテンツを渉猟する。それが娯楽だ。ゲームだ。自分の体が求める欲望をバーチャルな表現物に晒し、そこであたかも自分の体が生きているかのように錯覚できる感覚を求め、人はチャンネルを切り替え、映画館の椅子に座り、ページをめくり、コントローラーを操作し、クリックし、ひたすらスクロールするのだ。

そこで本人に起きている現実は、チャンネルを切り替え、映画館の椅子に座り、ページをめくり、コントローラーを操作し、クリックし、ひたすらスクロールしたことだけだ。だが、もちろん、そこで得られた情報によって、ジャンプしたり、大事な人が死んだり、使命を成し遂げたり、空を飛んだり、したように身体は反応するわけだ。

人は夢見る生き物だ。たぶん人じゃなくたって夢を見るだろう。たぶん夢見ることは必要なことなんだろう。必要だから夢をみるんだろう。でも、夢は必要なだけ見るべきなんだと思う。必要以上に見ちゃいけないんだと思う。夢に夢を持っちゃいけないんだと思う。

夢に夢を持たせるためのテクノロジーより、必要なだけ夢をみるためのテクノロジーの方が好きだ。

15:03
おそらく、必要な夢とは自分が見る夢のことだ。他人が見た夢ではなく。 俺が思う良い表現物はそのことに気づかせてくれる表現物だ。表現した人もそれを見た人も、その表現によって、それぞれの場所に帰っていくようにあるときにだけ、間に置かれた表現は救われる。そういう表現を見ると、俺は感謝の念に包まれる。あなたがいてくれてよかったと思う。孤独でも間違っていなくて、それこそが正しいことなんだと思える。

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