全くまとまっていないのでいつものようにわかりづらい文章になると思うが、今の時代って、既にあるものを複製することの価値が、急激に下がっていて、それが楽しくてしょうがない。
具体的には、メディアを利用したビジネスが総崩れの再編を余儀なくされようとしているわけでしょ?新聞社、レコード会社、出版社、映画館、そういうビジネスってのは、複製技術の難しさの上で全て成立していたわけで、それが主にはデジタル化とそのスピードアップと集積化によって、だれもがそれらのビジネスと同じことを例えばネット上で、例えばコミックマーケットで、例えば自宅で行うことが出来るようになった。あと残されているのは3D複製ぐらいのものだけど(例えばフィギュアやさらに言えば自動車や家まで含まれる)、こっちだって3Dプリンタやマシニングセンターが個人レベルに普及するのは時間の問題だって感じがする。
これらの技術がどんどん発達して、例えば子供のおもちゃを買うのに、親が1クリックでCADデータをストリーミングしてリアルタイムで樹脂成型するとか、ペタレベルのデータを溜め込めるモバイルデバイスを誰もが持ち歩いていて、しかもそこにはメチャ明るい撮影素子を持つ入力デバイスがついていて、それがネットワーク上に常時冗長化されているようなものを生まれると同時に持たされるとか、ってなことが良い悪いは別にして起きていくわけだ。
で、その上で、さらにそういう現実に晒された個人に何が起きるのかってことまで想像をめぐらせると、なんだかワクワクしてきてしまうのだ。逆に言うと、そこまで考えないと、ただの古いSFみたいな管理社会で想像が終わっちゃう。
おそらく「既にあるもの」に対する認識が飛躍的に高まるんじゃないかと期待してしまうのだ。これにはいくつかの階層があって、最初は今のメディアビジネスに対して起きていている変化だ。距離が人々を隔て、スピードが遅かった時代には、距離とスピード近づけるための技術として複製技術があり、それがある意味権力を持ちえたわけだけど、それが崩れ去ろうとしている現在、既にあるもの、つまり複製されるべき対象としてのオリジナルが、その権力から解き放たれて人々に届くようになろうとしているフェーズ。そしてこれは誰もがこれまで特権的に囲い込まれていた技術を利用できるようになろうとしているということだ。それがネットであり、インクジェットプリンタであり、マシニングセンターであり、入力や記憶ディバイスであったりするわけだ。今はそれがどんだけ簡単に出来て、個人に近づけるかということで十分熱狂できる時代だ。
でも、そんなのすぐに飽きるでしょ、と俺は思っている。だって他人の作ったものを複製することなんて大して面白くない。いや、ここには俺の先走った期待がありすぎるのかもしれないけど、飽きるだろうと思いたいのだ。だってむなしいじゃん。ここで次のフェーズ。既にあるものは他人の創作物ではなく、自分の周りにある素材になる。生活になる、時間になる、成らざるを得ないでしょ、と俺は思いたい。他に行くとこ無いわけだし。
あー
とは言っても、そこに行くのが嫌で、こんだけテクノロジーが発達してきた、ってことは分かってるつもり。遊ばされるのが大好きなんだよね、かまってもらうのが大好きなんだよね、保護されるのが大好きなんだよね、人って。それでも少しだけの希望を持つのは、あまりにも分かり易い構図が実現された時に、そこで無理やり夢を見続けようとする人と、夢から醒めようとする人がいて、その構図が強力であれば、醒めようとする人が沢山になることだって起きると思っている。
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全く関係ないけど、二つ前のエントリーのコメントが少し伸びてて、ちょっと面白いと思うので興味ある人はどうぞ。まだ返信予定。


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