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20090325: モジュール化について

モジュール化:規格が標準化され、その規格内において交換可能なシステムを作ること

モジュール化の可能性はあるところでは過激に進んでいるし、あるところではイラつくぐらい停滞している。例えば家電製品では、ほぼ完全に部品のモジュール化は無視されている。いくら省エネだと言い張ったところで、モーターやスイッチの寿命が来れば、その部品の代替品を手に入れることも出来ずに製品そのものが使えなくなり買い換えざるを得なくなってしまう。なんと言う無駄。

コンピュータの世界ではモジュール化はかなり重要になっていて、モジュール化を前提にしないでは市場が成り立たないぐらい重要な概念になっている(これをもっともっと拡大して、ソフトウェアや言語の世界まで拡大したってたぶんなんの問題も無い)。だが、こちらの世界では前提となるべき規格の更新が速過ぎるの問題だ。

モジュール化は、作る側、もしくはメンテナンスをしながら使う側の個人の自由度を飛躍的に高める。しかし一方で、既存のモジュール規格では実現できない革新的なアイデアの普及を阻む。冬眠と春の爆発の両方を抱える技術的フェーズだ。しかし現状を見たときには、どうみても規格の策定が追いついていないとしか思えないぐらい両者のバランスが悪い。モジュール化のメリットはもっともっと消費者と言われているような個人レベルに降りるべきなんだろうと思う。

電池を交換したり、洗濯機を買い換えたりするようなぐらいしか選択肢が無いようなモジュール化のレベルはどう考えたって低すぎる。モジュール化があらゆる大量生産品にもっとディープに採用されるようなシフトは貨幣への依存を低めることが出来るし、なによりも発見と創作の喜びを高めることが出来る。生きている時間を自分の側に引き寄せる助けになる、はずだ。

なのにそれがなかなか普及しないのは、生産者が技術を秘匿して消費者から金を巻き上げたいからでは無く、消費者といわれている人々が生産者といわれている人々に依存したいからなんだろう。

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Comment(6)

A「洗濯終わったよー」
B「うそ!?あの大量の洗濯物を?チョッパヤじゃん。」
A「こないだデュアルコアに換装したからさ。」
B「スゲー。洗濯槽2つかよ。でもやっぱ場所とるな、これ。」
A「冷却効率考えると、どうしてもガワがでかくなる。」
B「なるほどねー。」
A「制動力もこだわってるぜ。ブレンボのキャリパー積んでみた。」
B「別に制動力はどうでもよくね?」
A「やっぱ、ブン回すだけで曲がらないマシンじゃいいタイムでないし。」
B「…曲がんの、これ?」
A「曲がる曲がる。」
B「スゲーな。」
A「スゲーだろ。」
B「じゃあ、天気いいし、外に干そうか。」
A「いや、まだ脱水終わってない。キコキコ。」
B「なに、その手回しローラー?」
A「脱水機。」
B「ボトルネックもいいとこだな。」
A「だよなあ、拡張用の脱水機だけ売ってねーかな。」
B「全自動洗濯機買って部品取りしたらいんじゃね?」
A「だな、そうすっか」
B「そうしろ」

未来はそうでねぇと!

なんか、『三つ目が通る』の写楽君がその辺の機械かき集めて妖しげな装置作ったりしてたなーとか思い出した。

最近の機械は、省エネ機能やら何やら付けすぎで、基盤の半田が溶けちゃってるだけでOUTとか悲しすぎる。

小学校は半田付けとネジ切りを教えるべきだ、と、最近初めてダイスでネジを作った俺は思うのです。ネジって作れるんだぜ!と興奮している50直前の中年男。

モジュール化が最も先鋭化してるのは
OSを取り巻くソフトウェアの世界だと思うんですが
ソフトウェアで洗濯はできないんだよなあ。
できれば面白いのに。

>>写楽

あのわけの解らないねじれた機械群、ワクワクしましたよね。
ちゃんと機能性を持ってるのがカッコよかったなあ。
芸術性の威を借りて、"オブジェ"に逃げたようなデザインなのに
機能性を持ってるとこがカッコよかったなあ。

>>ネジ

ネジ作ったってのはインパクトあるなあ。

ネジに対しては昔から
ずーっとコンプレックスみたいなものがありますよ。

ネジって、
自分にとっては概念としての「完全な球」みたいなもんで
人がつくったもんじゃなくって、
「工業立国日本からにじみ出てきた自然物」
みたいな感覚があるんですよね。

自分が、正確さとは程遠い、
いい加減で無形のプロダクトにしか関わることができないくせに
「クリエイター」なんて偉そうな肩書きにおさまってる
ことに対する後ろめたさみたいなものを感じつつ。

ほんとは、「クリエイター」って
ネジ職人に冠すべき称号なんじゃないだろーか。

てか50直前かあ。
しばらく見ないうちに大きくなったなあ。

ネジが完全な球ってのは良くわかる。俺も正確さからは程遠いアーティストなんて肩書きに後ろめたさを感じまくるし。

ところで何のためのネジを作っていたかというと、自転車のヘッドライトのマウント用のネジだったんだけど(結局ボツにしたけど)、どんなに不正確でも、不恰好でも、無いものを自分で考えて作ることは何物にも代えがたい喜びだったりする。足りないのは真ん中なんだよなぁって、最近よく思うんだ。正確さだけでも、情熱だけでもやっていけないし、どちらかしかないのはつまらない。

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