ベートーベンの第9はBUKKAKEだと思った。それは盛大さに対するフェティッシュだ。
そのようにアダルトビデオと表現を対応させていくと、取りこぼされるものが無いほど完璧な対応表を作ることが出来るように思えた。そしてそれはおそらく間違っていない。あらゆるフェティシズムは日常という名の社会的常識に含まれている。
しかしもちろんそこには社会的には犯罪とされる行為も含まれる。だがそんな違いを定義する行為は、ありえないほど陳腐なことだ。
序章を賛美する人、予感を良しとする人、駆け上る坂に情熱を燃やす人、限りなく緩やかな歩みの果てに長く穏やかなオルガスムを求める人。それらの違いがどれほどの違いなのか。
人の欲望に、どんなシチュエーションであれ、大きな違いなんて見出せない。そういうことこそが大事なのだ。
ベートーベンは大量の精子をぶちまけたかったのだ。


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